読み物/The Pocket Guide to The Empire

Top/読み物/The Pocket Guide to The Empire

前言 Edit

400年以上前に出版されたThe Pocket Guide to the Empireの初版は、皇帝Tiber Septim治下の、新たな国家について描写・叙述したものであった。古代の独立王国群は不安定になり、戦争で疲弊した民衆は周辺地域の人々に関する出鱈目の噂やお伽話を信じ込み、恐怖に怯えていた。最初の1000年近くもの間、Tamriel帝国に関する見解でさえも、奇妙かつ憶測に満ちたものであった。The Pocket Guide to the Empireは、民衆に情報をもたらし、教育する事で、新しい帝国の市民を安堵させる事を意図したものであった。

帝国が変遷していく一方で、The Pocket Guide to the Empireは、初版のまま変化することなく、300年以上に渡り流通し、増刷されていた。玉座を巡る皇族同士の過酷な内戦や、Camoran Usurperに率いられた叛乱や、西部へのAkavirによる侵略、終わりのない叛乱と革命の繰り返しなどといった出来事は、Guideでは全く記述されないままであった。皇妃Morihathaの治世、帝国の331年に、ようやく初版があまりにも時代錯誤の内容であることが認識され、第二版を出版する事が決定された。帝国地理学協会(Imperial Geographic Society)は、Guideの叙述を(当時の)最新のものにするために、再び召集され、初版のプロパガンダ的な傾向を排したが、Tamrielが統一された帝国であるという主張を繰り返し、近代化した。

第二版が出版されてから121年の歳月が経過し、この間多くの事柄が変化してきた一方で、また不変の事柄もある。

Tamrielの農場や小村、諸都市にもたらされている変化についての情報は、不完全な噂話によるものである。事実は誇張され、歪曲され、倒錯され、迷信や古い予言を支持する者には無視されている。博覧強記の人でさえも、訪れた場所や何を読んできたかによっては、誤った情報を信じてしまう事もあり得る。真実の、百科事典的な著作が求められているのである。

民衆の偏狭さが変わっていないとすれば、変わったのは帝国そのものである。西方において、あらゆる国家群がMiracle of Peaceによって変遷した出来事は、時にWarp in the Westと称されている。東方においては、古のTribunalがTempleの支配とともに倒れた。Imperial Simulacrumの間に勃発した戦争によって、我々が知るTamrielの姿は、大きく変化したのである。

Uriel Septim7世陛下のご下命により、Pocket Guide to the Empireの第三版を出版するために、帝国地理学教会は再び召集された。我々の目的は、この地に暮らすあらゆる読み書きのできる生物を含んだ読者を啓発するために、史上における現時点で我々が知る世界を描写する事のみである。

我々の目的は、広い見地からなる多くの描写に基づいて達成されなくてはならない。我々の記述に至らぬ所は無論のことあるであろうし、それは将来の知識によって補われることであろう。そして、第三版が時代遅れのものになれば、第四版が求められるであろう。

あらゆる事象において、最も一般的かつ基礎的なこと、すなわち我々の存在そのものの性質から、記述を始めることにしよう。

Arena Supermundus:The Tapestry of Heaven Edit

本書の目的は、Tamriel帝国の今日の姿を描写するものではあるが、今日の事象を、少なくとも体系的に理解するためには、過去に起こった出来事について記述する必要がある。広大なTamrielでさえもそうであるように、我々はNirnという大きな世界の小さな一部分に過ぎないのである。Nirnは、物質界であると同時に、神秘魔法の師範達がMundusと呼ぶもの、あるいはより魅力的にGray Maybeと呼んでいる精神世界をも含んでいる。

CyrodiilがTamrielの中心であるように、Mundusもまた、Oblivionの暗黒とAetheriusの光が混交した、精神世界の中心である。Mundusにおいては、力同士が常に鬩ぎあっているため、時にArenaと呼ばれることもある。財と隷属、愛と喪失、生と死、不死は、皆自然法則に従うものである。言い換えると、魔法的手段というものは、自然法則を破るものであると言える。善悪について語る者もいるが、これらの概念は主観的なものであり、精神的なものではない。MundusのArenaにおいては、いまだに多くの闘争がなされているのである。

Imperialの初版の著者は、多くの理由、大部分は当時の政治的・種族的な見地の転換によってか、Nirnの全体性を無視した。あるいは、単純に知識の欠如からであったのであろうか。皇帝Tiberによる征服の時代の前時期は、4世紀にわたる皇位の空白期間であったために、累積的な知識が失われた暗黒の時代であった。多くの場合、ご都合主義的な世界の記述が、平民の手になる高位の人々向けの入門書においてさえも試みられた。

Morihartha Edition(第二版)においては、当時の政権の要求に応じて、その前言においてNirnの全体性について幾分記述をするように改められた。当時の政権は、Supermundusから直接的にもたらされた厄災と神秘性を経験していたからである。Supermundusの人々は、我々の対岸にある神秘的な領域についてのいい加減な認識などを遥かに超えた、天分に恵まれた人々であったのである。

Oblivionの虚空 Edit

Oblivionは、最も危険な異界であり、Daedraと呼ばれる強力な暗黒の精霊たちの住処である。Tamrielの住人は皆、夢や戦争、祭りの中において、Caprisicous Powerとの諍いを経験している。夜の帳が降り始めれば、Oblivionを訪れるには足りる。Oblivionは、Mundusの端から始まり、Mundusの外周部のあらゆる方向を包み込んでいるからである。Oblivionの支配者は、不死の「虚空の公子(Prince of Void)」であると言われているが、その名前は多様であり、またその性質は、我々自身と分かち難く結びついている。同様に、定命の者は、徳と想像を通じて、Nine Divineやその他の天空の精霊によって、力を授かっている。また、
我々は皇室との関係を共有している。

NirnとOblivionは隣接しているので、太古の昔からOblivionへの旅は行われてきた。そのため、外界の中としては、Oblivionの1/4はよく測量され、地図化されているのだが、いまだに理解を超えた神秘が残されている。Oblivionの大部分が黒く茫漠な海であることは事実であり、Oblivionを、虚空そのものに過ぎないと考えることは、単純な考えではあるけれども、あらゆる時代を通じて、Oblivionの境界を訪れた魔導師、皇帝、悪漢などは皆、帰還後に無数の神秘的な島々や、広大かつ風変わりな島々についての話を語っている。始原からOblivionにいるDaedra Lordたちは、永きに渡ってOblivionで過ごしているため、非常に多数存在し、自らの領域を形成する事は勿論、外部の大部分にさえも棲むことができないほどである。

Daedra Principalityについて詳細に記述することは、本書の範囲外である。Daedraに関心のある読者諸氏には、Mage’s GuildのMaster Zenas氏の著作や、我々帝国地理学協会の“Census of Daedra Lords”を読まれることを勧める。

Aetheriusの魔術 Edit

Imperialの神知学者によると、我々の世界はあらゆる生命に生気を与え、生命を維持する創造的な力であるMagickaから生まれたと言われている。Magickaの源は、虚空を越えた先の、多種多様な天空であると言われているが、総体としてAetheriusという名で知られている。

Aetheriusは、Nine Divineやその他の始原の精霊たちの太古の力の座であり、純粋なMagickaの異界である。夜毎にOblivionが我々を包み込もうとも、天空の力は高貴なる者から卑しき者まで、我々の日々の存在に授けられ、Men, Mer, Beastのあらゆる種族に共通の目的を与えるのである。Aetheriusは、農地には雨を、家庭には愛を、技術産業には科学的原理を与えるのである。また、太陽そのものを与えてもいる。最終的に、AetheriusはAedraの住処であり、それは我々が寺院などで見かける、Mundusの基礎である。

Aetheriusを訪れることは、Oblivionを訪れることよりも稀である。虚空が長く拡がるものであるのに対して、天空への旅を可能にするポータルは、星々に限られるからである。もしくは、魔法の賢明な使用とでも言うべきであろうか。Reman Dynasty時代の探検隊とAlinorのSun Birdは、我々の歴史において最も有名な試みであったが、両者とも結局は同じ問題、すなわち魔法をMagickaまで到達させるために必要な経費が不足したという問題を解決できなかったという事は、実に皮肉なことである。彼らが遺した唯一のものは、Elder CouncilにあるRoyal Imperial Mananautsと、Firstholdにある、Merecthic Eraの頃旅人によって集められた、真正の天空の鉱物から作製された、巨大な球体・Orreryだけであった。

Birthsings:The Aetherial Constellations Edit

Nirnに生を享けた全ての子らは、天より出生の光を授かる。星座は、それぞれを構成する魔法的相互作用によって創造される幸運と厄災である。一般的に、星座の数は13とされているが、最高天が調和している時と偏っている時とでは、他の星座が観測されることもある。

All the Eras of Man, A Comprehensive History of Our History Edit

以下に記述するのは、Tamrielの先史時代および有史時代についての基礎的な知識さえも持ち合わせていない者向けの、現在までの歴史の概略である。歴史に関心のある者は、自ら進んで帝国の図書館や書店を訪れ、歴史に関する優れた著作を手にしているであろうが。

The Elder Wilds Edit

歴史は、考えるまでもなく、創造から始まった。残念ながら、我々が持つ記録においては、その他の出来事を示すのに必要な客観的かつ強固な証拠は、全てこの最初の時代に失われてしまったと考えられる。世界の成り立ちについては、それぞれの地方・文化・宗教・家庭において、異なった見解が存在する。世界の成り立ちについての見解は、我々自身、我々が何処から生まれたのかを定義するものである。我々帝国地理学協会は、この事に関しては謙譲なる読者諸氏に委ねることにしよう。

多くの文化において受け入れられ、維持されてきている世界の成り立ちに関する物語は、神々が巨大な塔を建造し、そこでMundusの創生に関する方法を議論し合い、世界を凝固させ実体化させた、というものである。このConventionにおいて、Nirnの物質的・時間的・精神的・魔法的な要素が定められ、塔それ自体は神々のうち幾柱がAetheriusへと還って行った後も、そのまま存続した。今日、High RockとHammerfellに挟まれたIlliac Bayに浮かぶ、小さなBalfiera島にあるAdamantine Towerが、それである。この塔のような、人間の手になるような建造物が、Aedraが遺した唯一の足跡であり続けているという事は、
我々の世界が本質的に有限の性質を持つという事を物語っているのかも知れない。

創造が行われた初期の頃は、Tamrielには始原のエルフ(Aldmer)や、始原の人間(Nedics)は、いずれも住んでいなかったと一般的に理解されている。Black Marsh地方に生えているHistの木々が、我々の大陸における始原の生命の形態であると言われている。それに続いて、近代のKhajiit, Argonian, Sload, Dreughや、現在では既にこの地を去ってしまっていたり、人目を避ける気性や数の少なさ故に、その存在がほとんど目撃される事がない「獣人(Beast Folk)」の先祖たちが現れた。

公的な記録がなされるようになる前の時代、史学家がMerethic(もしくはMythic)Eraと呼ぶ時代になると、Aldmerが、Old EhlnofeyもしくはAldmerisと呼ばれる伝説的・神秘的な大地から、Tamrielへとやって来た。AldmerはSummerset Isleに定住し、その後東方へと拡大を開始した。一方、Nedicは、今日のSkyrimの北方にある、凍てつくAtmoraの大地からやって来た。エルフと人間が出会った所では、両者は不可避的に敵対するようになった。

Aldmerは、新しい環境に適応していく中で、文化的変遷を繰り返した。その変遷は、最初は気質的なものから始まり、続けて身体的に変遷していき、相互に全く異なる「種族」に分かれるようになった。Summersetに残った者たちはAltmerとして、 ValenwoodではBosmerとして、MorrowindではChimerおよびDwemerとして, CyrodiilにおいてはAyleidとして、そしてHigh Rockにおいては、NedicとAldmerの間に生まれた者たちがBretonとして、それぞれ知られるようになった。この頃に、Orsimer(もしくはOrc)もまた創造された。その創造は、指導者であったTrinimacの滅亡によって、Aldmerを歪めたものであった。Trinimacは、Daedra Princeの一人Malacathになったと言われている。様々な種族が一斉に現れた事は、Daedraや大地の変遷によって意識的になされた事であるかも知れないが、この歴史においてはその理由は必ずしも必要ではない。ともかく彼らは変わったのである。

Nedicもまた、Atmoraからの侵略の中で、幾世紀にも渡って変遷してきた。Skyrimに居住していた始原のNedicは、現在Nordとして知られている。西方に渡った者たちがAldmerと交わったことで、既に述べたように、Bretonが生まれた。一般的にBretonはMerではなく、Manと考えられている。南方に渡ったNedicはCyrodiilとなったが、結局はその地方に住んでいた好戦的なAyleidたちの捕虜や奴隷にされてしまった。

The First Era Edit

Valenwoodにおいて、Camoran Dynastyが打ち立てられた頃へ、時間を進めることにしよう。Carmon Dynastyは、恐らくその初期においては専制的な体制を採っていたと考えられるが、Dynasty(後段のValenwoodの項で詳しく述べる)とその王Eplear自身は来るべき文明化を鋭く見抜いていた。Tamrielの中心部においては、AyleidがCyrodiilの奴隷を用いて帝国を建設した。一方、北方ではNordが統合を開始し、Skyrimと呼ばれる総体を形成した。

Nordが南方の近親・Cyrodiilに与えた影響は、総じて動的なものであった。Nordに刺激されたCyrodiilは、Alessiaの旗の下、主たるAyleidに対して叛乱を起こした。かくして、かつての奴隷は、女王となったのである。Cyrodiilの手によって、1E243年にAlessia帝国が誕生した。拡大主義的であったNordもまた、今日Morrowindとして知られるDwemerとChimerの地であるResdaynを侵略した。Nordによる侵略に対して、1E416年に、Dwemerの王DumacとChimerの王Nerevarは、共同統治による部族同士の協力をもって、侵略に対する防御を固めた。

しかし、数百年の後、DewmerとChimerとの同盟は瓦解し、苛烈な戦闘へと発展した。これが第一評議会戦争(War of the First Council)である。この戦いの結末は、伝説となっている。Dewmerは存在そのものさえも消滅し、Chimerは赤い眼と黒い肌のDunmerへと変異したのであった。

Nordとともに、Alessianはその眼を、憎むべきエルフが支配する西方の肥沃なHigh Rockの地へと向けた。First Eraのほとんどの期間中、Bretonが強力な帝国を樹立するまでは、西方は係争の地となった。

YokudaからVolenfellの地に渡ってきたRa Gada(もしくは「戦士の波(Warrior Wave)」)は、1E808年に西方に達し、この地を征服してHammerfellと改称した。Hammerfellに定住したRa Gada(Redguard)は、Bretonの諸王国と共同して、揺籃期にあったOrcの故郷・Orsiniumを滅ぼした。

Tamrielの様々な文化が相争っていた頃、沿岸部にある脅威が現れた。SloadからもたらされたThrassian Plagueによって、沿岸部という沿岸部の人々が死滅に瀕した。より直接的な攻撃を好むAkavirのTsaesciは1E2703年にTamrielを侵略したが、Cyrodiilの皇帝Reman1世がこれを敗走させた。

1E2920年、皇帝Reman3世は、後継者のいないまま没した。Remanの宰相であったAkaviri出身の者が、帝国の統治権を奪い取った。その先祖は、Reman1世に敗北した後、帝国に仕えるようになっていた。Akaviri Potentateの系譜の始まりが、すなわちSecond Eraの幕開けである。Akaviri Potentateは、その滅亡まで、400年以上の長きに渡りCyrodiilの帝国を支配し続けたのである。

The Second Era Edit

最初の430年間は、Akaviri Potentateの支配体制下においても、Cyrodiilの帝国は、強大な力を維持し続けた。我々の文化に対しては侵略者ではあったけれども、Akaviriは我々の地に幾つかの優れた伝統を打ち立てた。Mage’s GuildやFighter’s Guildを組織するための憲章を認めたことなどがそれである。2E309年には、また一つの平和と繁栄の兆しが現れた。Khajiitの2つの部族・AnequiunaとPellitineとの土地が統合され、Elsweyrが誕生したのである。

2E430年、最後の(Akaviri)PotentateであったSavirien-Chorakは、後裔のいないまま暗殺され、強大な帝国はついに崩壊した。Black Marshでは、Knahaten Plagueが発生し、Argonian以外は居住不可能な土地になってしまい、人間の土地から強制的に切り離されてしまった。2E572年にMorrowindを攻撃した後、Akaviriは再びTamrielへの侵略を始めたが、今回はほとんど阻止されることがなかった。大陸のあちこちで戦争と叛乱が起こり、Tamrielの地のあらゆる優れた伝統の核心を脅かした。

Tamrielの再統合への最初の兆候は、西方で起こった。長い間他の島の王国との戦争に拘泥していたSummersetのAltmerは、Vallenwoodと同盟を締結し、共通の利益のためにAldmeri Dominionを形成した。しかし、強大な力が勃興したのは、やはり古の皇帝の力の座たるCyrodillにおいてであった。Savirien-Chorakの暗殺後、優れた将軍であったTalosは、この地の歴史上において最も偉大な征服者としての行動を開始した。

CylodiilとしてのTiber Septimの名でより広く知られる皇帝とその軍勢は、Tamriel全域を征服し、自らの名を冠した今日にまで続く帝国を樹立した。Third Eraの幕開けである。

The Third Era Edit

皇帝Tiber Septimの治世は38年に及んだ。Tiberは臨終の際、Tamrielの次期皇帝の座を孫のPelagiusに譲り渡した。Septim家には時に養子・養女や姻族が含まれる事があるものの、これ以降現在に至るまで、Tamrielに君臨している。

しかし、数世代のうちに、Septim家には対立や妬みが生まれ始め、3E120年に内乱が勃発した。この紅き宝石の戦い(War of the Red Diamond)は、Uriel3世とその母・Solitude出身の女王Potemaの死とともに終結したが、その後遺症は今日に至るまで感じられる。これ以降、帝国の統一性を当然のものと見なすことはできなくなった。

後に続く皇帝達、Sheogorathに「祝福」されたPelagius3世などは、Tamrielに見せかけの秩序を維持するために、Elder Councilの権威に譲歩した。帝国に強力な指導者がいない時に何が起こるかなどは、もはや言うまでもない。最悪の例で言うと、Camoran Usurperによる収奪の被害に曝されたValenwood, Colovian West, Hammerfellの人々である。Camoran Usurperは、3E267年に打ち倒されるまで、20年近くに渡り、アンデッドとDaedraの群れを率いて、これらの地を破壊した。

しかし、女皇Morihathaによる治世の始まりによって、Tamrielの統治は非常に強力になった。このことは、ここ120年間が、全く血が流されることがなかった、Tamrielの歴史において最も平和な時期であったという意味ではない。単に近年の戦争や紛争が、以前に起こったものの劣化した模倣でしかなかった、ということである。

最もよく知られている近年の紛争は、現在の皇帝Uriel Septim7世陛下の治世の初期に起こった。皇帝陛下が信頼されたバトルメイジ・Jagar Tharnは、狡知と魔術をもって陛下を幽閉し、皇帝になり代わったのである。Jagar Tharnが君臨した10年間、いわゆるImperial Simulacrumの時期は、忘れられていたはずの怨恨が再び燃え上がったことで古の紛争が再び表面化し、Tamrielの地が戦火に曝された時期であった。東方では、MorrowindがBlack Marshを攻撃した。Arnesian戦争(Arnesian War)である。北方では、SkyrimがHigh RockおよびHammerfellとBend’r-Mahk戦争(War of Bend’r-Mahk)を戦った。西方では、Blue Divide戦争(War of the Blue Divide)において、Valenwoodが土地とかつてのSummersetとの同盟関係を失った。

これらの紛争の他、最近のIliac BayやMorrowindにおける異様な状況においては、夥しい血が流されている。けれども、3E432年、すなわち本書が出版された年、帝国はますます精強にして一体である。次章では、各地方の歴史と最近の出来事について、より詳細な記述をすることにしよう。

The Seat of Sundered Kings:Cyrodiil Edit

王者の護符の中央部に埋め込まれたダイアモンドのように、CyrodiilはSeptim帝国とTamrielの、まさしく中心である。大部分が森林に覆われた内陸の地であり、その美しさは太古の昔から詩歌に讃えられてきた。3つの帝国が、戦略的に重要な大陸の中央から、権力を振るってきた。それ故、Cyrodiilが単純にThe Imperial Provinceとして広く認知されていることには、何ら不思議はないのである。

歴史 Edit

Tamrielに定住した初期のAldmerたちは、Summerset Isleの海岸沿いに要塞を建造したが、内陸深くにまで探検することはなかった。口承の歴史やTopal the Pilotの手になる断片的な民謡によると、この地には古代の獣人が棲んでいたことが、非常におぼろげながら見えてくる。Cyrodiilの歴史が本当の意味で始まるには、Ayleidの登場を待たねばならない。

Ayleidは古代のAldmerであり、今日暮らしている全てのエルフ族の近親である。時を経て、Ayleidは異なる様々なエルフに分化した。彼らが作り上げた文明の時代にあたる遺跡は、現在の考古学者や冒険家を悩ませ、惹き付けている。Skyrimから拡大した古代のNedicは、White Gold Towerを中心としたAyleidの野望を達成するための奴隷労働力になった。

1E242年に勃発したAlessiaの奴隷の叛乱は、CyrodiilおよびTamrielの将来の発展の礎になった出来事であった。Skyrimにおいては、人間とエルフとの戦いが何度も発生していたため、Slave Queenの叛乱は、人間のエルフに対する最初の勝利と呼ぶことはできないが、このことは大陸の力の構造の転換ということができる。Tamrielの中心地はかつての奴隷、今日のCyrodiil(もしくはImperial)の領域になった。永遠に。

SkyrimのNordの援助によって、Cyrodiilは力を確実なものにし、異なる二つの地域、すなわち豊かなNibenay渓谷(Nibenay Valley)と、遠方にある荒れ果てたColovian高地(Colovian Highland)との間で、緩やかな協力関係が生まれた。Alessia帝国がHigh RockのDirenniの地に向けて西進を続けていた頃、ある文化的・宗教的な大きな変化が起こった。予言者Marukhが、そのの教義によってCyrodiilにアイデンティティをもたらし、今日まで続く最も洗練されたTamrielの住人の信仰における全ての神々を体系化した。しかし一方で、彼の教えに対する厳しい批判から、紛争が引き起こされた。

次にこの地に大きな変化をもたらしたものは、まさしく外的な力であった。1E2703年のAkaviriによる侵攻から、新たな王朝が生まれ、また、独立国家群の間に、共通の脅威との戦いに身を投じる相互協力の精神が生まれた。皇帝Reman1世の下、CyrodiilはHigh Rock, Colovia, Nibenayの各地で相互協力し、また敗北したAkaviriの風変わりな文化を洗練することで、真の意味での世界市民になったのである。第二帝国(Second Empire)と呼ばれることもあるCyrodiil帝国は、強力な統一国家を目指し再び拡大路線をとったが、大陸全土を征服することは叶わなかった。

Reman3世とその息子で皇太子であったJuilekが暗殺されたことをもって、MorrowindとのFour Score戦争(Four Score War)が終結したことは、第二帝国の終焉という意味ではないけれども、一つの時代の終わりと目されている。Akaviri Potentateの支配の下、Second Eraを通じて政治システムは進化し続けたが、その進歩も2E430年、最後のPotentateが暗殺されたことをもって終焉を迎えた。

Second Eraの残りの期間は、Tamriel全土が全くの暗黒と混沌に覆われた時期であり、Cyrodiilにおいてさえも良俗などというものは存在しなかった。中央政府が消滅したために、NibenayとColoviaは分割され、農業は行われなくなり、村落は荒廃し、かつてのImperialの街道は無人の地となり、盗賊が跋扈する領域になってしまった。皇帝を僭称する無数の者たちがImperial Cityを巡って数世紀に渡って争い、かつてTamrielを支配したよき日々の栄光は、かすかな残影となってしまった。

Tiber Septimの出現は、数多くの歴史文書や書籍に遺されている。Cyrodiilにおいては、Tiberが与えた影響は、幾ら誇張されてもされ過ぎることはない。彼はTamrielに伝統的権力を取り戻し、自らその象徴となった。Tiberこそが、今日に至るまで支配を続ける王朝を樹立したのである。Cyrodiilの民も、Tiberが民衆を助けたのと同様に、皇帝を支持した。このことが、Tiberの統治に正当性と歴史的意味を与えたのである。民衆の支持は、彼による征服の以前においても、拡大していった。

Imperial Cityは、紅き宝石の戦い(War of Red Diamond)やImperial Simulacrumの際など、Septim家の後裔が弱まった時には幾分鈍くなりはしたものの、再び輝きを取り戻した。そして、再び色褪せることはなかった。

近年の出来事 Edit

Cyrodiil地方は、帝国の安定した中心地であり続け、武力によらず外交を用いて紛争を治め、周辺地域に政治モデルを提供している。近年のChorrolの伯爵夫人の娘・Lady Alessiaと
Leyawiinの伯爵・Marius Caroとの結婚などは、その典型的なものであり、愛情と高度な政治的判断とが完全に溶け込んだものであった。

しかし、近年においてもCyrodiilを脅かす幾つかの出来事がある。ここ数百年間は発生していなかった脅威であるKnahaten Plagueの発生の疑惑に、Black Marshとの境界に接する南方では、混乱が拡大した。これは、結局は流言である事が判明し、恐怖は収束に向かった。恐らく、Blackwood Companyに率いられたImperialの流入を阻止しようとしたArgonianによって捏造されたものであろう。Kvatchにおける家督継承を巡る内紛で、伯爵Hadreus Goldwineの2人の息子が生命を落とした。平和は回復されたものの、本書が執筆されている時点でも、伯爵は喪に服しており、新たな後継者を擁立していない。

皇室(Imperial Court)においては、幸いにしてそのような悲劇に見舞われてはいない。15年前に皇后が没された後、皇帝陛下は再婚されないことを選択された。亡くなられた皇后は、3人の健康な男子を遺された。陛下のご子息らは、優れた家臣や陛下ご自身から政治学を学ばれた。第一皇太子であらせられるGeldall殿下は、すでにUriel陛下の権限の多くを与えられており、殿下の慧眼ぶりには誰もが感嘆している。帝国の中心は強固であり、全Tamrielは壮健である。

The Throat of the World:Skyrim Edit

SkyrimはTamriel北方の地方であり、息を飲むような美しさと過酷な厳冬の地である。Skyrimには、多くのNordが住んでおり、帝国における古代からの力の座の一つである。
極寒の環境を埋め合わせるかのように、Nordの血気盛んなことは広く知られており、またその政治的状況も、荒風の如く急速に移行することがある。

歴史 Edit

Skyrimの津々浦々で見られるものは、古戦場である。始原の頃、Tamrielにもたらされた強大なAedraによる激しい変化は、その多くがこの北方の地に与えられたようである。巨大な山々がこの地の脊梁山脈を形成しており、渓谷に風が吹くと初期のNedicたちの戦場の雄叫びの残響が聞えるかのようである。

Skyrimには、Atmoraの地からTamrielへと最初に人間が渡ってきた伝統がある。Atomraからの移動は一度の侵略ではなく、数百年をかけて行われた一連のものであり、多くの異なるNedicの文化が生まれた。新しくSkyrimにやってきたAtmoraの民は、既にこの地に定住していた世代の者たちと常に衝突していた。北方の沿岸に聳える山脈にあるSaarthalの周辺地帯は、何度も支配者が代わり、その逆境の中で、Nord自身の如くより力を増し、強固になっていった。

Nedicたちは相争うなかで、新たな敵・Aldmerに相対した。始原の人間と始原のエルフとの間の闘争は、今日に至るまで様々な形で継続されている。NedicはNord, Imperial, Bretonとなり、AldmerはAyleid, Dwemer, Chimer, Dunmer, Bosmerになった。この頃、Tamrielの人物の中でも最も伝説的な人物の一人にして、全てのNordの王の祖たる、Ysgramorが現れた。

北方から拡大したYsgramorの部族は、Nordこそが最も恐ろしい古代の軍勢であることを示しつつ、勢力を伸ばした。1E133年に、現在のSkyrimとしての総体が、Harald王の統治の下に置かれたが、Nordはなおも拡大を続けた。雪深いSkyrimから、近隣のResdaynに居住していたDwemerや、High RockのBretonを攻撃した。またCyrodiilで勃発した奴隷の叛乱を支援し、このことが南方におけるAyleidの支配を終わらせた。

続く数世紀の間、Nordは戦争における勝利と敗北、領土の拡大と縮小を繰り返した。Cyrodiilは隔てられた土地と考えられていたが、Nordと初期のImperialは敵たるエルフに抗するための緩やかな協力関係を形成した。これらの文化が混ざり合って、今日のAedra信仰の基礎が生まれた。SkyrimはTamrielにおいては、人間が支配的な国家であったが、Ysgramorの部族内における内紛によって引き裂かれてしまった。それぞれの首長が相争い、Skyrimは徐々に今日のMorrowindおよびHigh Rockにおける支配権を失い、またSkyrim内の幾つかの地域は独立王国となった。

短期間の間、或る支配者がSkyrim全土の統一を何とか維持したものの、Nordの根本的な好戦的気質からか、平和は続かなかった。Cyrodill帝国とSeptim帝国は、この傾向を利用し、戦争好きのNordが敵対勢力になる前に、自分たちの側に雇い入れたのである。

Third Eraにおいては、Cyrodiilが帝国の心臓であるとするならば、Skyrimはその強力な腕である。3E120年、帝国の統一性を揺るがす大きな脅威が起こった。女皇Kintyraの叔母であったいわゆる「Solitudeの狼女王(Wolf Queen of Solitude)」ことPotemaが叛乱を起こし、内乱へと発展した。この叛乱は最終的には平定されたものの、その残響は今日に至るまではっきりと感じられる。Potemaとその息子で退位させられた王・Uriel3世こそがTiber Septimの最後の真の血統であると信じる“Horme”と呼ばれる水面下の動きがあり、この信条の下、SkyrimにおけるImperialの権益に対する攻撃が行われている。

Jagar TharnによるImperial Simulacrum体制下では、Skyrimの諸王国と近隣のHigh Rock, Hammerfellとの間にあった冷え切った敵意が煽られ、戦火が引き起こされた。我々の真の皇帝が玉座に返り咲いた頃にはこの戦争は終結したが、SkyrimがFirst Era以来領有していなかった土地への権益を主張した後のことであった。

近年の出来事 Edit

Brend’r-Mahk戦争(War of Bend’r Mahk)によって、Skyrimの領土は著しく拡大し、NedicはHigh RockおよびHammerfellの東部の相当地域を自らのものとした。JehennaやElinhirといった都市部におけるBreton, Reguardの抵抗はそれ程のものではなく、地方の国境地帯周辺ではより活発であった。Dragonstarは東西に分割され、相互が壁で隔離された。それぞれが独自の政府を持ち、両者の間は不信感と恐怖で満ちている。Imperial Simulacrumの時代以来、少なくない領域の支配者が交代したにも関わらず、お互いの抵抗組織同士によるテロ活動が起こらない日はない。

Skyrimにおいて常に最も豊かにして影響力のある都市・Solitudeは、Dawnstarの女王・Macallaとの婚姻による王・Thianの同盟により、北岸の大部分を支配下に置き、いよいよ強大になってきている。Solitudeは、3E271年にUriel5世によって征服されたRoscrea島など、幾つかのImperialの領土を併合することで、更なる影響力の拡大を図っている。また、本土を離れ、未知の海域である幽霊海(Sea of Ghost)への探検隊を支援し始めてもいる。

Solitudeの古の対抗勢力であったWinterholdもまた、権力と影響力の復活を遂げた。東方のMorrowindからの難民が流入し、新しい考え方をもたらしたことで、Winterholdの文化は豊かになり、かつての商魂を刺激した。東方において破壊を免れた、Winterhold大学における学問の基礎である図書館・Ysmir Collectiveが帰属して以降、Tamriel中の学者たちが、この地にやって来るようになった。

HorthgarとWhiterunは、北岸部の諸都市ほどには幸運ではなかった。王国間の反目や、Hormeの匪賊や、フロスト・トロールによる攻撃、厳冬や洪水、旱魃、大火などのために、かつてはSkyrimのImperial Cityとまで考えられた領域は衰退した。人々は、奇妙なことに地方の魔女の集団の指導者であった、Lorkhanの神官を自称するJsasheを賞賛するようになった。「Whiterunの魔女王(Witch-Queen of Whiterun)」と呼ばれるJsasheは、この領域において影響力を振るっているが、まだその魔力で繁栄をもたらしてはいない。

The Temple:Morrowind(Pg.39〜Pg.45) Edit

Tamrielの北東に位置し、地形の大部分はその近隣のSkyrimと同様に険峻ではあるが、有名な火山であるRed MountainがあるVvardenfell島から遠く離れた場所でさえも気温が高く、荒れ果てた土地である。この地は、以前はResdayn, Veloth, DwemerthとかDunmerthと呼ばれており、失われたエルフの部族である神秘的なDwemerと、その近親たる、今日のDark Elfが変異する前の、Summersetからやって来たChimerの居住地であった。Second Era, Third Eraにおいては、Morrowindと呼び習わされている。

記録上に残る初期の文明は、Dwemerの手によるものであった。無知な者は時にDwemerを“Dwarf”と呼ぶことがあるが、彼らは沿岸部に居住していた初期のAldmerの後裔であり、高度に洗練され、かつ技術的に優れた文化を発達させていた。

別のエルフの集団であるChimerがやって来たことで、MorrowindにおけるDwemerの支配は、試練に直面した。ChimerもDwemer同様、Aldmerの後裔であり、予言者Velothに導かれて西方からTamrielを渡って来た。Chimerはすぐに遊牧生活を捨て、今日に至るまで残存している緊密な政治的集団である、Great Houseの名で知られるものへと別れていった。

最初、2つのエルフの集団は、土地を巡り相争っていた。両文化の宗教的信条の相違が、闘争に油を注ぐことになった。Dwemerが何らかの理由でもない限りにおいては、神を信仰しない者たちであったのに対して、Chimerは確固たるDaedraの信仰者であり、Dwemerの信仰の欠如を、神々への冒涜と見なしていたのである。

First EraにNord侵攻して来るまでは、二つのエルフの集団の間に平和が築かれることはなかった。ChimerのNerevarとDwemerのDumacは、Nordを撃退することに成功し、第一評議会(First Council)を設立した。

しかし、結局は2つの集団の文化的相違はあまりにも大きかったため、平和は長くは続かなかった。第一評議会戦争(War of the First Council)は、Red MountainにあるDwemerの要塞において終焉を迎えたが、その戦争の終わりの頃の出来事については、様々な学説がある。

Nerevarが戦中もしくは戦後すぐに討たれたことは知られているのだが、誰によって殺害されたのかという点については、議論の的になっている。DumacとDwemerもまた殺されたのだが、どのような滅亡の仕方をしたのか、正確なことはまだ論争中である。また、Red Mountainの戦いにおいては、Chimerもまた変化することになった。彼らの皮膚は灰色へ、眼は燃える炎の赤へと変わった。これ以後、ChimerはMorrowindのDunmerとして、世に知られる事になったのである。

恐らく、戦争の結果のうち最も重大なものは、Nerevarの側近たちにもたらされた変化であったと言えるだろう。Nerevarが信任したTribunal、すなわちAlmalexia, Sortha Sil, Vivecの3人は、神にも似た力を得ることになった。また、Red Mountainにおいて殺害されたと思われていた、Nerevarの将軍・Dagoth Urもまた、Tribunalと同じ程度の力を得た。かつて定命の者であった彼ら4人は、ある者は象徴に、またあるものは王者に、神に、悪漢になり、時に称揚され、時に侮蔑された。彼ら4人は近年まで、Morrowindの国家の発達に多大な影響力を振るっていた。

Morrowind地方の地方政治の大部分が、Great Houseを通じて行われ続けた一方で、TribunalはTempleを通じて間接的にこの地を支配し、自分達の現人神としての地位をもって、Dunmerを鼓吹した。ChimerのDaedra信仰は、この地における新たな精神の覚醒への前触れにしか過ぎないとされた。Tribunalの力は、Akaviriから土地を守るために、Reman Dynastyに加わった時に、試されることになった。

Akaviriには勝利したけれども、MorrowindとCyrodiil帝国との友好関係は続かず、不信感が着実に募っていき、1E2480年にFour Score戦争(Four Score War)が勃発した。戦争はほぼ8年間の間膠着状態であったが、Tribunal、特にVivecは、戦中戦後において強大な力と指導力を見せつけた。最終的には、Tribunalの外交手腕によって戦争は終結した。Tribunalの力がどの程度のものであるのか、彼らの伝説にどれほどの空想が織り込まれているのかという疑問はあるが、彼らの外交手腕に関しては疑う余地はない。他の地方がSecond Eraの混乱の渦中にある一方で、Tribunalは反目し合うMorrowindのGreat Houseを上手く抑え、Akaviriからの新たな侵攻をも退けた。

Second Eraの終わり頃、永く眠りについていたDagoth Urが覚醒し、Red Mountainの要塞を奪還した事で内的脅威となり、また、Tiber Septimの帝国が勃興してきて外的境地となった時、Tribunalの外交手腕は再び試されることになった。3柱の現人神と戦う事を望まず、Dagoth Urの帰還を警戒していたSeptimは、本書の歴史の項で述べたように、条約を締結することにした。この条約においてMorrowindは自治権を得、Septim帝国はTamrielの残りの地域を征服する手段を得た。両者に公平な解決策だったのである。

Morrowindにおける権力へのSeptim帝国の、この地を支配者自身の手に収めたいとする要求に対して、更なる譲歩がなされた。Mournholdを統治していた一族の娘・Barenziahに、Morrowindにおいて初めて女王の称号が与えられた。この称号は概ね儀礼的なものではあったが、若き女王BarenziahとTiber Septimの将軍・Symmachusとの婚姻は、Dunmerの民衆に大いに支持されることになった。

Arnesian戦争(Arnesian War)は、Jagar TharnによるImperial Simulacrumの混乱期に起こった戦いの一つであった。南方にあるHouse Dresの領地での、単なる奴隷の叛乱として始まったこの戦いは、戦火を広げながら南方の湿地帯にまで拡大し、MorrowindとBlack Marshとが戦うことになった。混乱の中でSymmachusは討たれ、命の危険を感じたBarenziahは、帝国の西方・High RockのWayrestにある王国へと逃亡した。Barenziahは、House Hlaaluの貴族であった叔父のAthyn Llethanに王位を委ねた。

Temple, 王族, Great Houseの間の不安定な休戦状態は、崩れ始めた。Dagoth Urが力を増した一方で、Tribunalは弱体化していった。そして、現在広く囁かれている噂によると、一つの奇跡が起こったらしい。House IndorilのNerevarが再生し、Morrowindを本来あるべき姿へと戻した、というのである。

近年の出来事 Edit

Morrowindに降り立った謎の人物が、本当にNerevarの生まれ変わりであったのかはわからない。しかし、Vvardenfell島にその人物が現れたという余波は、まだ十分には認知されていないのかも知れない。Dagoth UrおよびTribunalのうちの2柱、AlmalexiaとSortha SilはNerevarineの怒りに触れ滅びた。Vivecもまた討たれたとも考えられるのだが、現在の所彼の運命は不明である。Nerevarineも同様に姿を消してしまった。

これと同じ頃、もう一人の伝説的な人物・女王Barenziahもまた、Morrowindへと帰還した。Llethan王の急死と、Barenziahの息子であるHelsethが後継即位したことは、議論の種になっている。あるNordの外交官は、「新王は人を操るのが上手く、残忍で狡猾である。彼こそまさしくMorrowindに必要な人物だ」と述べている。

若きHeleseth王は、外野の傍観者のみならず、彼自身の家臣たちにとっても、不可解な人物であった。Helsethの王としての最初の命令の一つに、Dunmerの伝統的権力構造を取り除くことを、特に意図したものがあった。帝国の長年の希望に従って、Morrowind全土における奴隷制を非合法にしたのである。これに対する反応は、予測されていた通り苛烈なものであったが、一方で形成された協力体制は、期待通りのものにはならなかった。Helsethは民衆に対して、「仮に革命というものがあるならば、その最上のものは王によって執り行われる」と語っている。

このことから、多くの人はHelseth王にImperialの傀儡に過ぎないとするレッテルを貼った。しかし、王の行動のうちの幾つかには、この見解に疑問を投げかけるものもある。Helsethが大評議会(Grand Council)を再編成した時に全てのGreat Houseの当主をそのメンバーに含めたことなどは、伝統的なDunmerのやり方に回帰するもの見なされている。

長く停滞状態にあったGreat Houseは、Morrowindの地の新たな権力へと適応する最中にある。House DresやHouse Hllaluなどは、新しい伝統を受け入れつつ過去への回帰をも歓迎することで、勢力を伸ばしている。他方、House IndorilやHouse Redoranは、時代の流れに応じて変化することができず、弱体化していっていると思われる。

The Sons and Daughter of the Direnni West:High Rock Edit

High RockはTamriel本土の北西に位置し、この地の気候は穏やかで、なだらかな丘陵地帯が伸び、高く聳えるWrothgarian山脈(Wrothgarian Mountains)によって半分ずつに分かたれている。一風変わった魅力に溢れる村落と、都市部の優美さは、この地の生活が穏やかなものであることを物語っているが、そのような生活は、特にBretonの歴史においては、非常に長い期間、遠い絵空事にしか過ぎなかった。

歴史 Edit

肥沃な土壌と穏やかな気候の故に、歴史を通じて多くの文化が、現在High Rockとして知られているこの地域に惹き付けられていったのは、不思議なことではない。神々こそが、その最初の存在であった。Iliac Bayの中ほどに浮かぶ小島にあるAdamantine Towerは、Tamrielにおける最古の建築物として広く知れ渡っている。古の伝承が信頼できるものであるとするならば、この塔はDawn Eraの頃、Nirnの命運を決める合議を行うための場所として、神々の手によって建造されたと言われている。これは恐らくただの神話に過ぎないとしても、初期のAldmerがこの地方にやって来た時、既にこの塔は聳え立っていたという事は真実である。

High Rockには、様々な獣人が原住していたとする可能性を示す、幾つかの証拠があるのだが、最初に恒久的な共同体を形成し、定住を開始したのは、Summerset Isleからやって来たAldmerであった。次いでやって来たNedicは、高度に洗練されたAldmerの文化と接触するに及んで、すぐに圧倒され、吸収されてしまった。Khoseyの初期の物語には、あるNordの襲撃部隊がAldmerと思しき一団を襲撃した所、近くでよく見ると、エルフと初期に失われた Nedicの後裔であった人間との間に生まれた混血種族であった、という記述がある。この混血種族は、不名誉にも“Manmeri”などと呼ばれていたのだが、彼らこそが現在我々が知る所のBretonである。

High Rockにおいて、Bretonが支配的勢力になるまでには、幾世紀もの時間がかかった。First Eraのほとんどの期間中、Elfはこの地を領有し続け、Nordは海賊の略奪行為を支援するために、沿岸部にDaggerfallのような要塞都市を建造したのである。Daggerfallは、長年High Rockにおいて深い影響力を持つ王国であった。

High Rockに植民したAldmerの氏族のうち、最も成功を収めたのはClan Direnniである。First Eraの中期頃までには、彼らは支配的勢力となり、一般的に全High Rockを指して「Direnniの覇権(Direnni Hegemony)」と呼んだほどであった。Clan Direnniは、経済力と軍事力を背景に、戦に熟練したNordや揺籃期にあったCyrodiilのAlessia帝国に対して、恐ろしい脅威であり続けた。Skyrimにおける内乱につけ込んだClan DirenniはHigh Rockの南北の土地へと侵攻を開始し、Skyrimの一部と現在のHammerfellを領有した。最盛期においては、Clan DirenniはTamrielの1/4近くを支配した。しかし、あまりにも拡大し過ぎたため、年を経て少しずつ得たもの全てを失ってしまい、Balfiera島の要塞であったAdamantine Towerへと退却することになってしまった。Adamantine Towerは、今日Direnni Towerと呼び習わされている。

Bretonは、歴史の裏で行動を進めていて、彼らは商業とIliac BayとBjoulsae川(Bjoulsae River)との間の沿岸部に位置する穏やかな漁村であったWayrestのような、よく選定された土地に村落を造営することで、High Rockにおいて力を伸ばした。Bretonは、Nedicの都市であったDaggerfall, Camlorn, Reich, Gradkeep、その他の多くの都市を、武力行動によらず、専ら同化・吸収していった。First Eraの終わり頃には、High RockはBretonの地となった。これは現在に至るまで続いている。

しかし、High Rockは、Bretonによる統一的国家ではなかった。Direnniの後裔の力の空白地帯が、High Rockのあちこちの小さな城塞都市国家という形で分布していた。このため、BretonはしばしばTamrielの強大な勢力の為すがままにされていたのだが、巨大な帝国が崩壊した後の混乱期における、驚異的な立ち直りの速さの要因ともなった。

High Rockの地に新たな2つの勢力がやって来る前後になると、Direnniの支配はほとんど存在しなくなっていた。Yokudaの地からやって来たRedguardは、1E808年にHammerfellの征服を開始し、広範囲に渡り獣人を攻撃して追い払い、Iliac Bay南岸沿いにあったBretonの集落をも奪い取った。BretonとRedguardは、お互いの共通の敵であるOrcの王国・Orsiniumに出会うまでの間、Iliac Bayの覇権を巡って相争うことになった。

Orsiniumの興亡と再生については、本書の後の段で詳しく述べることにしよう。この「怪物のような」生物の王国を発見したことは、彼らがまさしく「怪物のような」と考えたように、Redguard, Breton双方にとって非常に好ましからざることであった。Daggefallと新しい王国であったSentinelは同盟を結び、Orsinium包囲戦(Siege of Orsinium)として知られる長期間に及ぶ戦いを指揮した。最終的に人間側が勝利し、Orsiniumは滅亡しOrcはTamrielに四散することになった。

High Rockは、Cyrodiil帝国崩壊後の長い皇帝不在期間においても、比較的うまくやっていたが、王国が分散していたため、Tiber Septimの前に容易に征服されてしまった。実際の所、多くのBretonは帝国の再生を歓迎した。一方で、3E267年の、ValenwoodからのCamoran Usurperによる北方への破壊的行軍による侵略を阻むために、High Rockを統一しようとした者たちがいた。時の皇帝は力がなく、西方の勢力にも明瞭な指導力がなかったため、UsurperはHigh Rockを蹂躙しようとした。一方、Breton側は、Iliac Bayに僅かな領地を保有していたものの、Dwynnen男爵の下ではUsurperを打ち負かすだけの十分な統率が取れてはいなかった。しかし、圧倒的軍勢を保有していたUsurperはBretonを侮り、それ故に敗北したのである。

脅威が去った後、統一は失われ、その後150年間は国の内外において紛争が続いた。東方においては、NordがBend’r Mahk戦争において、かつて領有していた土地を奪還した。西方においては、Betony戦争(War of Betony)が勃発した。この戦いは、表面上はDaggerfallとSentinelとの間の戦争であったが、Daggerfall近隣の諸王国にも戦火は飛び火した。中央部においては、Orsiniumが再びOrcの故郷として現れ、Wayrestの命運を再び脅かすようになった。しかし、3E417年、世にも不思議な方法で、High Rockの領域は再び定められたのである。

この出来事は、平和の奇跡(Miracle of Peace)と呼ばれている。3E417年Frostfall10日、Iliac Bay上で不思議な力が爆発を起こし、軍隊と土地の殆どを破壊し尽した。その性質についてはいまだ不明であるが、多くのBretonは、古代の神々がHigh Rockを再び自らの地にするために、浄化を行ってこの地を再び完全に復した、と信じている。この奇跡は時に西方の歪み(Warp in the West)として語られる事もある。多くの者にとっては痛みを伴う出来事ではあったが、High Rockは近代史において、かつてない程統一された。

かつて無数の王国が相争っていたのが、奇跡から20年後の今日では、その数は5王国となったのである。

近年の出来事 Edit

戦争で疲弊したHigh Rockの諸王国は、最近は武力紛争よりも外交的手段を好むようになった。このことは、DaggerfallとWayrest, CamlornとNorthpointおよびEvermoreとの、それぞれの新しい国境の間における緊張が解消されたということではなく、小競り合いこそ続いているものの、彼らがこれまでに行ってきたような戦争には発展していない、というだけのことである。最近、Daggerfall王家の嫡男CamaronとCamlornの公爵Senhynの娘・Lady Kelmenaとの婚姻が祝福された。これは、Tamriel西岸沿いの王国の統一を意図したものである。20年前のGothryd王とAubk-i女王との婚姻は、今日まで続くDaggerfallとSentinelとの関係を確固たるものとし、両者の間の平和の礎を形成している。

NorthpointとEvermoreは、平和の奇跡の直接的影響は受けてはいないものの、この出来事の後の混乱に乗じて、周辺の小さな王国を併呑することでその利益を得た。Bend’r-Mahk戦争においては、Skyrimの侵略を受けるには西に離れて過ぎており、DaggerfallやWayrestの標的になるには北に離れて過ぎているため、この2都市は周辺を不信の目で見てはいるものの、近年は平穏である。

多くの人々は、Wayrestの女王・Elysanaを、西方において最も恐ろしい支配者と考えている。彼女が王座を手にするために異母兄弟であるHelsethを巧みに打ち負かしたことを考えれば、不思議なことではあるまい。Helsethもまた、今では東方において、母のBarenziahとともに、その狡猾さで再認知されてはいるのだが。Elysanaは、夫とともにHigh Rockの支配と強権を維持しており、また彼女が最近Wayrestの仇敵たるOrsiniumのOrcと同盟を結んだことで、彼女の次の行動には多くの人々が注目している。

The Ra Gada:Hammerfell Edit

Tamrielの地にやって来た人々で最も新参の者が、HammerfellのRedguardである。彼らは新たな根拠地である過酷な砂漠にすぐに適応し、かつての荒地を端倪すべからざる勢力を持つ地にしたのである。

歴史 Edit

Hammerfellという名称は、Redguardの渡来とともに使われるようになったものである。それ以前は、Aldmerはこの地をHegatheと、NedicはDeathlandと呼んでいた。両者は概ね同じ意味である。Hegatheの名は、Redguardの最初の首都の名前として残存している。First Eraになると、Coloviaの北方、Iliac Bayの南方に位置するこの荒れ果てた土地を呼ぶのに、Nedicによる名称が広く使われるようになった。歴史的な記述はそれ程には多くない。この、灼熱の岩石の上を熱風が吹き荒れる砂漠の大地を歩く者は、怪物のみであった。

エルフと後のBretonは、内陸部を占拠したOrcから漁業者や交易商人を守るために、SentinelとLainlynという2つの居留地を建設した。記録によると、危険な存在はOrcだけではなかった。風の精霊、炎の精霊、ゴブリン、トロール、馬ほどの大きさもある蠍などが常に砂漠から這い出て来て、開拓を阻んでいた。時には、悲惨な犠牲を伴うこともあった。

1E420年、東方からあるDwemerの部族が、Deathlandへとやって来た。この部族はRourkenといい、MorrowindにおけるDunmerとDwemerとの同盟に叛乱を起こした人々であった。彼らは湾の南岸沿いの離れた所に定住し、すぐに南方のエルフや北方のBretonとの間に単純な交易関係を樹立した。また、Rourkenは、DeathlandをDwemerの言葉で「槌の都市」を意味するVolenfellへと改称した。その首都の廃墟は、Gilaneに近いAlik’rの地の砂の下に埋もれている。

House Rourkenの人々はResdaynの地のDwemerとは袂を分かっていたのだが、第一評議会戦争の結果から逃れることはできなかった。他のDwemerと同様に、Rourkenもまた、謎を虚空に残したまま、Hammerfellの地から突然姿を消したようである。荒れ果てたRorukenの都市から、Akaviriやnordの海賊が殆どの財物を略奪し、内陸の砂漠に棲む肉食動物が無人の街道を徘徊し、酷薄な精霊もまた殺戮を行った。南Volenfellの地に文明が訪れてから、Ra Gadaがやって来るまでの間に、実に100年の時が経過したのであった。

大異変(本書で後述する)の後、Yokudaの民は己の土地を離れ、Ra Gadaと呼ばれた遠征艦隊をもってTamrielへとやって来た。Yokudaの民は、統率を欠いたOrcや内陸部に巣食っていた怪物や猛獣を素早く打ち倒した。Redguardと呼ばれるようになったRa Gadaは、沿岸部に住んでいたBretonの集落も容赦なく攻撃し、南Illiac Bayへと侵入し、僅かな主要な戦闘を経て現在Hammerfellと呼ばれる地方の全域を勝ち取ったのである。Yokudaの政府であったNa-Totambuは、Redguardの新たな根拠地の過酷な環境にもよく適応する、伝統的な農業システムおよび宗教とともに、完全にHammerfellへと遷った。過去の文明の新旧の廃墟の上に、高いドームやモザイクの紋章などが建設された。

Redguardは、沿岸部の住人を虐殺したことで近隣の反感を買い、Bretonとの関係を樹立することは難しくなっていた。両者の長年に渡る敵対関係は、共通の敵としてのOrcの王国・Orsiniumが出現したことで、やっと終わりを告げた。同盟が成功した後、Velenfellから改称したHammerfellの諸都市と、High RockおよびAnvilの王・Bendu Oloの尽力で、新たな敵・Thrasの地のSloadに対抗するために同盟した、西Colovianとの交易が、ようやく行われるようになった。

時を経て、Redguardの社会は、古のYokudaの手法を奉じるか、新しいTamrielの手法を奉じるかによって2つの集団に分かれた。Na-Totambuの伝統に従うCrownsは、Ra gadaの初期の戦士であった人物の名前を取ってつけられたForebearsによる同化の努力に抵抗した。2E864年に、Crownsの至高王(High King)・Thassad2世が死亡したことに伴い、Stros M’Kaiにおける叛乱の成功に続く譲歩があったものの、HammerfellはSeptim帝国に占領されたのであった。

分割されたHammerfell社会は、帝国に組み込まれた後も、今日に至るまで修復されていない。一般的に、北Hammerfellは様式、衣服、気質など、より伝統的なYokudaであり続けている。一方、Forebearsの地であった南Hammerfellは、より世界市民的な傾向が強い。しかし、実際にはHammerfellは、対立する伝統が隣接して存在する継ぎ接ぎのようなものであった。このため、3E253年、Crownsの都市であったElinhirがForebearsの都市であったRihad, Tanethの呼びかけに応じず、Camoran Usurperの北方への進軍を許す結果となってしまった。そのために、東部Crownsの諸都市がSkyrimとのBend’r-Mahk戦争を戦っている間、Forebearsの諸都市はCrownsを支援することはせず、CrownsがNordに攻撃されているのを見物する有様であった。

近年の出来事 Edit

平和の奇跡の後、SentinelにあるForebearsの王国は、西方のAbibon-Goraから東方のBjoulsae Riverの河口に位置するSatakalaamまでの、Hammerfell北岸の地域を統一しようとするようになった。北方地域の独立王国の多くは、Crownsを支持していたため、Lhotun王は北方諸王国を自らの陣営に置き続けるために、不断に軍事的・外交的・宗教手段を用い続けている。LhotunはYokudaの過去を奉じつつも帝国の手法をも尊重する、第三勢力的な存在を生み出すことになり、まさしくLhotunicと呼ばれることになった。

中立的なLhotunicが、Crowns, Forebears両陣営の諸王国から受けたものは、侮蔑以外の何者でもなかったということは、考えるまでもないであろう。Tanethの女王・Clavillaは、Sakatalの信仰を受け入れることは、帝国に対する叛逆とするに足る理由と主張し、Sentinelの領地全てからギルドの独立憲章を破棄しようとして失敗している。Elinhirの高位予言者(High Prophet)・Ayaan-siは、北方地域のTrue Crownsを召集してLhotunに叛乱を起こし、BergamaとDark’fronの境界に対する襲撃の多くを、経済的に援助している。Ayann-siは一つの重大事を成し遂げている。Crownsの発祥の地にして、Yokudaの地にあった古のNo-Totambuの名をとって名付けられたTotambuを奪還し、Sentinelからの独立を宣言したのである。Lhotunの王国は四方をTotambuに囲まれ、何時まで持ち堪えることができるのかは甚だ疑問ではあるが、本書が執筆されている時点においては、Sentinelの人々はまだ抵抗を続けている。

東部Hammerfellは、Sentinelでの出来事にはあまり関心を向けておらず、Bend’r-Mahk戦争においてSkyrimに占領された土地を奪還する努力を続けている。Redguardは、優れた戦士であり、ゲリラ戦においては並ぶものがないのだが、その社会は現在の所、効率的な軍隊を編成するには、統一性を欠いている。Nordもまた名高い戦士であることから、土地の奪還は進んでいない。

Sugar and Blood:The Cats of the South Edit

Elsweyrの砂漠の下には、100に及ぶ文明が埋もれていると言われている。我々の現在の帝国が、永遠にこの地方の砂漠に上に存立でき得ると考えることは、浅はかな考えであるかも知れない。Black MarshとValenwoodの間に位置する南方の土地に住むKhajiitは、疲れを知らぬ人々であり、Tamrielにおいては永続するものなど何もないということを常に示している。

歴史 Edit

Khajiitは一般的に、人間とエルフがやって来る前からTamrielに原住していた人々の、僅かな生き残りである獣人のうちの一種族であると考えられており、Elsweyrが彼らの根拠地である。勿論、この伝承は全ての人々に受け入れられている訳ではない。Khajiitの起源については、異なる学説もある。Khajiitの系統の一つであるOhmes-Rahtが、エルフ種と非常によく似ていることから、彼らが近親である可能性があるというものである。また、KhajiitはTamrielに定住した始原のAldmerの後裔のうちの一つに過ぎず、Altmer, Bosmer, Dunmer, Orsimerに進化した者たちがいた一方で、砂漠の環境下故に、猫のような種族になり、Elsweyrの地を闊歩している、という説もある。仮に彼らが外来の種族であるとしたら、Tamrielの大部分において土着の民をうろたえさせる種であったと考えられる。

より一般的に信じられている説は、KhajiitはElsweyrの過酷かつ不毛な大地で生き残るために猫のような種族になった外来の知的生命体などではなく、他の民が衰退・消滅していく一方で、生き残るために変化することに長けた、生来猫のような姿をした人々である、というものである。作物を枯らす灼熱の風が吹き荒れる過酷な土地が、Tamrielにおける始原の捕食者の生まれ故郷となったというのもおかしな話ではあるが、どうやらその可能性は低そうである。

Topal the PilotがTamrielの周辺を旅していた時にKhajiitに出会ったのだが、それはElsweyrにおいてではなく、Niben川(Niben River)の上流、Imperial Cityに近い所においてであった。Khajiitたちは他の土着の生物を捕食して暮らしており、彼らが川岸を歩いている時は、Topalの乗組員は非常に難儀した。また、Merethic期のBosmerの記録で、Valenwoodのある場所には巨大で奇妙な猫人間がいて、それへの恐怖から、誰もがその場所を避ける、というものもある。古代において、Khajiitが砂漠を根拠地とする一方で、南Tamriel一体を通じて支配的な文化として君臨していたと推測することもできよう。

歴史家が後代のために記録を残し始めた頃には、Khajiitの王国は事実として存在した。Tarmielに定住した初期の人間が、この地のどのような環境下でどのような植物が生えているのかといったことを、ようやく理解し始めた頃、今日のRimmenには、既に商業キャラバンが存在していた。Atmoraからの植民者とAldmeriからの植民者とが、北方の覇権を巡って争っていた頃には、Khajiitは既に南方において、洗練された文化を発達させていた。

First Eraの初期の頃、Elsweyrには16の独立王国が存在した。この地域では、人間やエルフの諸王国によくあるような、土地と権力を巡る争いはなかった。本書の旧版では、部族間抗争があったと記述しているが、初期Khajiit社会については、真実は全く反対であった。各自の特技と能力を認識した各王国は、それぞれがある特定の仕事に特化し、その収穫物を、等価交換によって近隣に供給していたのである。優れた戦士が生まれ、鍛え上げられることで知られ、そのTemple of Moons Danceは今日においても有名であるNe Quin-alは戦士を、Torvalは魚やその他海産物を相互に交換していた。各王国の優越性は、月の満ち欠けによって認識された。両方の月が満月であればNe Quin-alが優越していた。また、両方の月が半月であればTorvalが、両方の月が新月であればSenchalが優越していた。その他の王国もまた、月の満ち欠けに応じて力と影響力を行使した時期があった。

1000年間もの間、この複雑な天文学的・政治的なダンスは、Khajiitが直面したあらゆる脅威と互するものであった。Alessia帝国は、南方深くまで領土を拡げようとはしなかった。ValenwoodのBosmerもまた、自らの領土を拡大するには、東方はあまりにも遠過ぎることを認識していた。しかし、1E2260年に発生したThrassian Plagueによって、ついにこの均衡状態は狂わされてしまった。病禍は交易路に沿ってElsweyr中心部に達し、多くのKhajiitが病に倒れ、生存者にも選択の余地はなかった。Elsweyrに16あった王国は、
2になってしまったのである。すなわちPa’alatiinとNe Quin-alである。Cyrodiil語での名前であるPellitineとAnequinaの名の方が、一般には浸透している。

2つの王国は、月の満ち欠けに応じて現されたことは勿論であるのだが、Khajiit文化の解釈は、それぞれが吸収した部族のものとは大きく異なっていた。Pellitineの民はAnequinaに住む人々を、粗野な蛮族と見なしていた一方で、Anequinaの民は南方の民を、退廃し、堕落した存在としか見ていなかった。数世紀に渡り、両者は相争ったが、双方ともに目に見えた成果を得ることはできなかった。南方は傭兵を雇い入れ、包囲に耐え得るだけの財力を持っていたし、北方には戦士の文化があり、簡単に屈する事はなかったのである。

2E309年、AnequinaのKerigoとPellitineのEshitaの婚姻により、両者は統一された。二人の指導者は、この約定が非常に歴史的なものであることを認識し、この地の名をElsweyrと改名した。この風変わりな名前に、研究者は頭を悩ませている。一般的に言われている説明は、とあるKhajiitの「完璧な政府というものは常に、Elsewhere(他所)で見つかるものだ」という格言に求められていて、新しい王と王妃はこのことを意図し、またユーモアのセンスをもってこの名を付けたとされている。また、Riddle’ TharによってKhajiitに約束された楽園・Llesw’erの名に因んだという者もいる。どちらの見解にせよ、現実にはそぐわない、楽観論的な考えが窺える。

Third Eraを含む、続く数世紀の間は、Khajiit間の争いは休止状態にある。Manesとして知られる、長年の精神的指導者が、時にこの地に幾分の平和をもたらしたが、長続きしなかった。KhajiitはCyrodiil帝国およびSeptim帝国に吸収されることで、安全が保障されると考えたが、結局両者に対して叛乱を起こしただけであった。Khajiitは、自らの豊かな文学伝承の中にRajhin the Thiefの物語のようなものを見出して、慰めとしているが、Imperialのプロパガンダに対する恐れから、この地への書籍の流入を差し止めてしまった。彼らは麻薬売買で豊かになろうとしているが、自らの精神までもMoonsugarに依存させてしまっているに過ぎない。KhajiitはValenwoodと戦争状態にあり、Elsweyrの砂のように絶え間なく戦場を移している。

Elsweyrは危機に瀕しているといってもよいかも知れない。もしくは、そういった混乱の根拠地であるといった方が正確であるのかも知れないが。

近年の出来事 Edit

Valenwoodとの五年戦争(Five Year War)において、Elsweyrの境界は西に幾分移動し、Xylo川(Xylo River)の両岸を得た。Imperial Simulacrumが終結すると、この地をValenwoodに返還させようとする外交的試みがなされたが、既にその地で暮らしていたKhajiittたちは、移動する事を拒絶した。帝国は結局、古代の条約でこの地が正式にKhajiitのものであるという法的な証明をすることで、危険な状況が悪化しないように、そっとしておくのが得策であると判断した。

しかし、Elsweyrの全体的な領域は、Elsweyrにとって好ましくない国境調整によって、拡大はしていない。東方では、長年係争地となっていたCyrodiilの都市・Leyawiinとの境界が、現在のManeとLeyawiinとの伯爵との間の合意の後、解決されたのだが、Cyrodiilに有利なようになっていた。しかし、Renrijra Kirnという名前で知られる山賊の一団がこの地をElsweyrに取り戻そうとしており、西Nibenは混乱した土地になってしまっている。

港湾都市のSenchalは、長い間Tamrielで最も危険なスラム考えられていたが、麻薬取引や財力・権力のあるKhajiit向けの沿岸観光地として、著しく復興を遂げている。この輝きの裏には、ElsweyrにおけるMoonsugar取引が、ここ20年の間に増加したという事実がある。「黄金の猫(Gold Cat)」ことYa’Tirrjeは、Torval, Corinthe, Rimmenにおける麻薬密輸業を継続する一方で、Senchalに豪華な邸宅を持ち、街の安全の維持と、自分の犯罪に対してお咎めがないようにするために、警備に莫大な金を拠出していると噂されている。

The Blessed Isle:Alinor and the Summersets Edit

単一の島ではなく、2つの主要な島々と、12の群島で構成されているSummerset Isleは、
Tamrielにおいて今日我々が知る文明と魔法の発祥の地である。この海が迫る田園の地には、Altmer(もしくはHigh Elf)が暮らしている。

歴史 Edit

古代、あらゆるエルフの祖先であるAldmerが、その故地であるAldmeris(もしくはOld Ehlnofey)から、Tamrielへとやって来た。何がこの移動を引き起こしたのかや、仮に今日まで存在するとするならばだが、Aldmeriの場所さえも、我々は知ることはできない。多くの研究者は、Aldmerは最初Summersetに定住し、その後Tamrielの他の地域に拡散していったと信じている。しかし、Summersetが、初期のAldmerの幾つかあった主要な居住地の1つに過ぎなかったとする学説を支持する、幾つかの証拠もある。いずれにしても、Summersetは初期Aldmer文明の最初の中心地の1つとなり、有史時代のAltmerの登場に至るまで、数千年の長きに渡って発達した。

Aldmerの難民たちが出会った生物や、有史以前の文明については、ほとんどが歴史の霧の中に埋もれてしまっている。Summersetで最も高い山であるEton Nirの頂上にあるCloudrestには、古い建物の上に、蔦のように建物を重ねて建てるという、非常に風変わりな建築様式が見られる。この地にあるあらゆる遺跡のなかでも最も古いものや、島の内陸部のあちこちに点在する遺跡は、珊瑚で作られており、これは、海から非常に長い距離を運んで作られたものである。遺跡の建築材や様式から判断して、SloadがかつてThras王国の一部として、Summersetを領有した可能性が高いと考えられる。本書のThrasの項で、更なる証拠を提示することになるだろう。

Crystal Towerや個人の所蔵品を見ると、初期のAldmerが、彫刻やタペストリーに描かれているような別の生物に出会っていた可能性が考えられる。描かれた猛獣の幾つかは、作者の創造の産物であることは確実だが(そうであって欲しいものである)、風変わりに見える割に均整が取れた、かつて存在した可能性が考えられるような姿のものもある。とはいえ、それらの生物を見たものはもはや生き残っていないので、その名称は伝説から取られている。すなわち、大地が人の形をなした人間もしくはその集団であるGheatus、島の護り手にして破壊者として描かれる、角と牙をもつ風変わりかつ神聖な生物であるWelwa、樹木よりも背が高く、頭部が眼で覆われている巨人であるIlyadi、これらの絶滅してしまった怪物も、その他の未知の生物も、往時のAldmerによって滅ぼされたのであろう。

初期Aldmer社会は、農業を基盤とし、政治的には平等主義的であった。祖霊信仰の体系がAldmerisからそのまま持ち込まれ、Summersetの初期の定住者に尽くした共通の精霊と並立した。Aldmerは、Crystal Towerを建造するために、種族として一体化した。その塔は王や神のためのものではなく、現世を生きる者にせよ故人にせよ、エルフの人々の精霊のための記念碑であったのである。塔の光り輝く壁の中には、初期のAldmerの定住者の墓が全て収められ、歴史上の僅かな期間に存在した人々の力を、永遠に象徴するものとして保護しているのである。

社会が成長するにつれて、徐々に社会の階層化が進んだ。今日までSummersetのほとんどの地域において施行されている、身分制が形成され始めた。教師、神官といったWiseを頂点とし、次いで芸術家、王族、戦士、地主、商人、労働者といった序列である。労働者の下には、隷属化されたゴブリンなどの「獣」が位置し、Aldmerの品格に値しないような仕事に使われた。社会が変化したことにより、宗教もまた変わった。Aldmerは、自分達の祖霊の中でも「優れた」もの以外の祖霊を信仰することはなくなった。多くの古代の祖霊の中でも、Auriel, Trinimac, Syrabane, Phynasterは神になった。自らを「Aldmeriの古の法(Old Ways of Aldmeria)」の護り手・Psijicsと称する長老の一団は、この流れに反発した。Psijicsは、Aldmerの社会を堕落したものと見なし、その魔力をもってArtaeumに定住した。彼らは相談役として役割を果たす時は、この地に戻って来たが、もはやSummersetを故郷と呼ぶことはなかった。

多くのAldmerがSummersetを離れ、Tamriel本土へと定住する時期になった。このAldmerの第二の移動に関しては、その理由は単一ではないと考えられるが、上で述べた生物のうちの幾つかが描かれている有名なRamoran Tapestryのように、未開拓の美しい本土が、Aldmerによって形成されたと考えられていたことを示す、幾つかの証拠がある。Topal the Pilotなどによって率いられた探検隊は、Summersetの身分制においては最下層に位置する労働者でさえも、王族のような生活ができる土地の像を思い描いた。そうした人物の中の一人であった予言者(Prophet)・Velothは、不満を持つAldmerの一団を率いて、Summersetを離れ新たな約束の地へと旅立った。

Summersetの伝承によると、本土へと移動したAldmerは、史上における様々なエルフになったと言われている。すなわち、Chimer, Bosmer, Ayleidである。Summersetに残った者たちは、Altmerになった。しかし、Summersetにおける最初期の記録においても、Dwemerの起源については一切触れられてはいない。Velothと彼が率いた一団がTamrielの北東に到達した時には、Dwemerは既にその地で暮らしていたのである。

Summerset IsleのFirst EraおよびSecond Eraのほとんどの期間の歴史は、Tamriel本土の歴史からは全く隔絶されたものであった。帝国の興亡も、人間とエルフとの間の争いも、社会としてのAltmerには全く影響をもたらさなかった。SkywatchとFirstholdとの間の内紛や、AlinorとLillandrilとの間の内紛は、しばしば全面戦争へと発展したが、外地であるThrasとPyandoneaからの度重なる侵略の試みに比べれば、瑣末なことであった。

(この項の)最初に述べたように、Thras出身のSloadは、Summersetに原住していた可能性があり、島を占領しようとする彼ら度重なる試みには、それが侵略という手段でなければ、一定の理解を示すこともできた。Sloadは、その巨体故に直接戦闘をすることができなかったため、屍霊術と爆発兵器を用いてAltmerを攻撃した。SloadはSummersetを奪還することはできなかったが、それが目的ではないにせよ、この地に今日でさえもまだ思い起こされるような、凄まじい恐怖をもたらした。2E1301年のSkywatchの略奪(Sack of Skywatch)と、2E2911年から2E2917年まで続いたUvichil戦争(War of the Uvichil)である。これらの出来事は、Tamriel史上においても最も恐ろしい出来事と言えるだろう。

PyandoneaのMaormer(本書の後段で詳しく述べる)は、Summersetを占領するための侵略を、執拗に行った。First EraおよびSecond Eraを通じて、ほぼ毎年MaormerがAltmerの沿岸地帯を荒し回った。その恐ろしさから、Altmerは防衛のために、強力な海軍を設立せざるを得なくなった。それ故今日まで、High Elfが戦闘において最も卓越しているのは、まさしく水上戦なのである。沿岸部は夥しい鮮血で染まり、恒久的に紅に染まっても不思議はない程であったという。

Second Eraに形成されたAldmeri Dominionについては、Summersetの同盟者たるVallenwoodの項で述べることにしよう。Summersetにとっては、Coloviaの諸王は脅威ではなかったのだが、DominionはColoviaの諸王に、本土西岸部に建設されていたMaormerの居留地を襲撃することを認めた。こうして、Tiber Septimの登場までは、Dominionは繁栄することになったのである。

帝国によるSummersetの征服・同化は、時を経て幾分薄れてはいるものの、今を生きる多くのAltmerにとって、恐怖とともに思い出される出来事であった。Altmerの自尊心は、決して回復されることはない。3E110年、PyandoneaのMaormerは、仇敵の征服をほとんど確かなものにしつつあった。これに対して、AltmerはPsijicsと帝国に防衛の支援を求めることになった。また、20年前、Imperial Simulacrum体制下において、SummersetはかつてのDominionにおける同盟者であったValenwoodを侵略したが、かつては自分たちのものであった沿岸部の僅かの土地を得たに過ぎなかった。Summersetの多くの住人、特に若者の間で、High Elfたるための何かを再び創り出す時であると考えているのは、当然であろう。

近年の出来事 Edit

ここ数年の間は、Summerset Isleとその近隣は平和である。一見、何も変わらない穏やかな通常の状態に戻っているようにも見える。しかし実際の所、恐らくAltmerは帝国において、最も大きく分かたれた社会である。この地方における今日の戦争は、文化的なものである。その起源は4世紀前に、Altmer社会の基盤そのものに衝撃を与えた、Tiber Septimへの降伏に端を発するものである。SkyrimとMorrowindでは近年夥しい血が流されているが、一方この地における新旧の間の闘争は、極めて根本的な結果をもたらすのかも知れない。Tamrielの帝国の中でも最も古くからあるこの地方の命運は、危機に瀕している。

数千年間に渡って、Altmerは暗黙の内に、自分達がTamrielにおける他の全ての種族・文化の中で最も優れていると信じていた。今日まで、概ねそれは正しかったのかも知れない。しかし、Summersetが帝国に組み込まれた後には、疑問が生じて来ている。Summersetの島国根性を捨てた多くのAltmer、特に若者は(High Elfの中ではかなり広義の意味を持つ言葉ではあるが)、Altmer社会の厳格な身分制と、徹底して外来文化を嫌悪する態度に、批判的な意見を持つようになり始めている。Altmer社会の周辺には、常に不平不満があり、伝統的に不満分子を追放することで、不満を解決していたのだが、Altmerが初めて社会の変化を促し始めたことは、重要である。

Summersetにおける近年の改革は、様々な形態をとっている。1世紀前は禁止されていた、この地に新しい文化や種族を受け入れたことなどは、建設的であると言える。例えば、Firstholdの女王・DunmerのMorgiahは、Barenziahの娘にしてMorrowindの王・Helsethの妹である。Morigiahの子供であるGoranthirとRinnalaは、Altmerの血が半分流れているのだが、外見は完全にDunmerであり、家督継承者の地位についている。

しかし、Beautifulと自称する闇の組織が、この改革の動きの中で、不穏な行動をしている。Beautifulは、元々はSummersetが前進するには、過去から離れなくてはならないと考える、理知的な哲学を持った芸術家のサロンであったのだが、Altmer文明の優れた記念碑や遺跡の破壊に邁進する、急進的な一団へと変貌した。Crystal Towerは自然と破壊の最初の目標となり、幸いにしてその試みは失敗に終わったものの、その他の優れた古代の彫像や紋章などが破壊されてしまった。後に、Beautifulはその矛先を、Summersetの地の生きた象徴である王族へと向けた。特に、残酷にもShimmereneの王の娘を殺害した事に、人々は恐れ、また憤慨した。

結局、Summersetの若者たちは、皮肉にも過去を抱きしめながら、現状に対して叛乱を起こしている。我々帝国地理学協会は、調査・記録のためにArtaeum島を訪れることの許可を得ることができなかったのだが、Psijic Orderが若者の間で支持を拡大し、若者を利用しようと画策しているのかどうかについては、少々疑問が残る。過去数千年間の間、Psijic Orderに新たに加わった者は、僅か17名であった。しかしながら、ここ2年の間に、新たなに30人の者が加わっている。謎に満ち、伝統に縛られたArtacumにおいてはそうかも知れないが、一つの組織に新たに30人のメンバーが加わったといっても、ほとんどの集団にとっては驚くべき傾向と見なすには不足であると考えられる。しかしながら、Psijicsによるこの最近の新規登用活動の目的については、現時点では推測の域を出ない。

The Wilds Remain:Valenwood Edit

大陸の南西に広がる大森林は、Cyrodiilの人間たちやSummersetのエルフたちの野望の緩衝地帯になってきた。尽きる事のない緑の樹海、咲き誇る花々のような都市を覆い隠す自然の迷宮こそがBosmerの故郷であり、まさしくTamrielの庭園であると言える。

歴史 Edit

Valenwoodの歴史は、有史の実に最初の頃、すなわち伝統的にFirst Eraの始まりの時期とされている、Eplear王によるCamoran Dynastyの樹立にまで遡る。

言うまでもないが、この地の歴史そのものは、First Eraの始まりの遥か以前から既にあった。Valenwoodに人間やエルフがやって来る以前は、この森林地帯には様々な生物と風変わりな文明が存在した。初期のAldmerがこの地に上陸する以前には、ケンタウロス、グリフォン、サテュロス、ミノタウロス、ジャイアント、バシリスク、妖精族、ヒュドラや知性のある猿などが栄えていた。実際の所、初期のAldmerが直面した最初の試練は、森林の複雑な食物連鎖システムの中において、捕食者の獲物になる事をうまく避けることであった。

Aldmerが、自らの新たな環境である森林に適応するために、自分たちの生活や心神を変化させ始めるようになるにつれて、彼らはBosmerとして知られるようになった。「森林の神(Forest God)」たるY’ffre(古の祖霊の1人、もしくは真なる神々の1柱)による庇護に対する返礼として、Bosmerは自らの新たな故郷の植物を、摘み取らず、傷付けず、食用としないことを誓約した。

Eplearが、生来荒々しい気性を持つBosmerを統一することに成功したことは、Tamriel史上の軍事的偉業においても、目を見張るような出来事であることは間違いない。Camoran Dynastyそのものは、First Eraに人間が打ち立てた帝国よりも優れていた。結局、森林においては多様性こそが法であった。BosmerはAyleidから逃亡してきた奴隷も、またAlessiaの叛乱で逃亡してきたAyleidも、そして新たな帝国をも歓迎し、1E340年、横暴なAyleidの軛から脱したばかりの人間と、通商条約を締結した。

しかし、帝国において予言者Marukhの教えが拡大し始めると、Camoron Dynastyと帝国との間の対立は増し、同盟は短命のうちに終わった。Marukhの主要な支持者の一人であったNordの王・Borgasが、Bosmerに対する戦争に加わることを勧めるためにCyrodiilを訪れていた時、Valenwoodの悪名高い「猛獣狩り(Wild Hunt)」の犠牲者になった。かくして、Valenwoodは新たな敵に対する防御を固めつつも、痛烈な打撃を与えたのであった。その後15年間、Skyrimは混乱状態に陥ったのである。

MarukhによるAlessia改革(Alessian Reform)が終焉を迎えても、CyrodillとValenwoodの国境地帯に沿って戦闘は継続された。攻撃が激化する中、女皇Herdaが西Coloviaとの関係を改善するには、1E2714年まで待たねばならなかった。すなわちこの年は、Thrasの地から容赦ない軍勢と破滅的な病禍がもたらされた後のことであり、ValenwoodはCyrodill帝国の前に屈したのであった。Camoran Dynastyは存続したけれども、その権力は減退していた。帝国は、Valenwoodが再び帝国に刃向かわないようにするために、Dynastyの各地に独立を認めることを推進した。このため、Bosmerは共通の敵に対して再び団結して立ち向かうことはなくなった。Falinesti, Silvenar, Haven, Archen, Eldernroot, Woodhearthといった諸都市が、完全な自治権を与えられた地方の交易都市として勃興した。

数世紀の間、BosmerはCyrodiil帝国に対して、忠誠を誓った訳ではなかったが従順ではあった。2E340年、Cyrodiil帝国が崩壊すると、Camoran Dynastyは他の王国に対する復権を画策したが、再び統合するにはあまりにも文化的な懸隔が大きかった。Camoran Dynastyの野望を阻む他の大きな勢力はなかったため、お互いに争い始めた。加えて、東方ではKhajiitと、北方ではColoviaと戦争を開始した。Valenwoodは侵食され、PyandoneaのMaormerによる沿岸部の侵略には、全く抗することができなかった。Valenwoodが再統一されるには、別の外的要因が必要であった。すなわち古のBomserの故郷・Summerset Isleである。

ValenwoodとSummersetのエルフの統一王国であったAldmer Dominionは、Tiber Septimが登場するまでは、Tamrielにおいて最も安定した力を持っていた。Valenwoodの新政府はThalmorと呼ばれ、Bosmerの首長とAltmerの外交官で構成された評議会からなっていた。特に人々に支持されたという訳ではなかったが、Thalmor政府はそれ以前の混沌の時代よりはましで、Tiber Septimの軍勢によって滅ぼされるまで存続したのであった。

賢明にも、皇帝はValenwoodの独立の象徴としての部族会議や、傀儡としてのCamoran Dynastyの王が存続することを認めた。250年の間、Valenwoodは平和であった。島嶼戦争(War of the Isle)や紅き宝石の戦争(War of the Red Diamond)において抵抗の他の地域が荒廃した際にも、Valenwoodは無傷のままであった。帝国は、この地方にあまり関心を払ってはいなかった。徐々にBosmerは増長する侵略者の権威に対して憤慨し始めるようになった。それは、この後に訪れる恐怖の基盤となったのである。

3E249年、古のCamoranの王を僭称する者が現れ、軍勢とDaedarの同盟者を使い、刃向かう者を皆殺しにしつつ、Valenwoodを席捲した。Bosmerは、恐怖のあまりCamoran Usurperに立ち向かうことができず、また暴力的な方法ではあるにせよ、帝国の軛から解放されることを歓迎する者さえいたため、この脅威に対して団結するのが遅れた。Camoran Usurperの力が増大するにつれて、こうした少数派の数も増加し、Camoran UsurperはValenwoodにおける力を確かなものにすると、その目を北方に向けた。ValenwoodがHaymon Camoranの支配から脱するまでに、20年近くもの間恐怖政治が続いた。征服されたColoviaおよびHammerfellにおいて叛乱が勃発すると、Haymonは力の座を失い、3E267年、HammerfellとHigh Rockの間にあるIliac Bayにおいて、その軍勢は撃滅された。

Usurperの手によって、Valenwoodは荒廃してしまった。Bosmerは帝国やSummersetの支援も、地方の指導者の導きも、何も信用しなくなり、孤立主義的な気質をますます強めた。人々は都市部を去り、初期の伝統に還って森林での生活を志向するようになった。ある地方の力が弱まった兆候があれば、近隣から攻撃されるということは、ごく自然なことである。

Imperial Simulacrum体制下において、最も被害を被ったのはValenwoodであった。東方においてElsweyrが、西方においてSummerset Isleがこの地を攻撃した際、帝国がValenwoodの防衛支援を躊躇ったため、Bosmerの土地の相当範囲が、両者によって奪われたのである。

近年の出来事 Edit

Valenwoodが政治的に弱体化していることは、ここ20年の間にますます明らかになってきており、Bosmerはこの問題を放置しているようである。多くの人は、この地を政治的意義のない、単なる名前だけの土地だと考えている。名誉や自尊心が、1つの家族・1つの部族にあればだが、国家意識は弱く、最早存在しないようにさえ思われる。部族会議は何十年もの間開催されておらず、Valenwoodは不安定な状態にある。

しかし、活発な勢力が存在する兆しも見られる。500年間行われていなかった猛獣狩りが、その目的こそ不明ではあるが、目撃されたのである。「歩く都市」として知られるFalinestiは、有史以来初めてある場所に定着するようになった。Precursorという名のみしか知られていないが、新たなBosmerの予言者が現れ、古の「森林の神」Y’ffreが、神が愛したBosmerの民に、新たな贈物を携えて帰って来るとする教えを広めている。これらが単なる個別の出来事なのか、Valenwoodに大きな変化をもたらす兆候であるのかは、まだ判断することはできない。

The War with the Trees:Argonia and the Black Marsh Edit

あらゆる場所が腐敗し、流れ出るこの地は、Tamrielのゴミ山などと呼ばれている。沿岸部や国境地帯は、様々な文明によって荒らされてきたが、その内陸部は大気、土壌・水源中に満ちた毒のため、侵害されてはおらず、その神秘は解き明かされてはいない。過去の人々は、Tamriel南東の湖沼地帯“Black Marsh”と呼んで謗ったが、この地に暮らす者たちが、僅かながらいた。すなわちArogniaである。

歴史 Edit

Tamrielのどの地域においても、知られざる歴史というものはあるが、帝国内において、Black Marshほど記録が少なく、探検もされていない地域はない。Topal the PilotをはじめとするAldmerの探検家たちが、この「悪臭を放つ、不快な沼地と半人半爬虫類」がいる地域を旅している。恐らくこれは、今日のArgonianと関係がある可能性がある、初期の種であるのだろう。詩歌の言辞から、Black Marshに今日まで続く、人間もエルフも誰も住みたがらない土地であるという、長い伝統もまた始まっていたことが窺える。

しかし、この地で暮らす人々はいたし、この地にやってくる人々もいた。Tamrielの他の地域と比較した場合、過去のBlack Marshの様々な場所において存在した文化は、かなり多岐に渡ると言える。現在の視点からは実に驚くべきことに、Second Eraに入るまでは、これらの文化の間には、戦争も紛争もほとんどなかったと言われている。

今日Black Marshにおいて最もよく見られる住人である半人半爬虫類であるArgonianの他に、人間の部族であるKothringi, Orma, Yerpest, Horwalli,エルフの部族であるBarsaebic Ayleid, Cantemiric Velothi,そしてElsweyrのKhajiitに関係している可能性がある、狐に似たLilmothiitが、かつては暮らしていた。ある者は難民や流刑人としてBlack Marshに送り込まれ、またある者は、沿岸部の川沿いに定住し、奇妙かつ通常であれば有害な環境に適応していった。

StormholdとGideonの2都市は、元来Ayleidが建造したものである(Ayleid語での名称は不明である)。しかし、Ayleid文化の中心地からは切り離されており、Alessia叛乱軍が決起した時も、攻撃されることはなかった。南方の沿岸部は、Lilmothiitの領域であったのだが、彼らは遊牧民の集団であり、後の文明によって発見されるような、自分達の存在を示す痕跡をほとんど残さなかった。Black Marshのエルフは、今日のArchon, Arnesia, Thornに近い、東部地方に定住した。

“Arognian”の名称に関係する種の起源は、歴史的なものではなく、神話に基づいている。Black Marshに暮らしていた半人爬虫類以外の住人の間では、短い時間ではあるけれども、霧がかった有毒な内陸の沼地に入り込んで目にした様々な奇妙なものについての話や、沼地の恐怖から無辜の人々を守る高貴な英雄の話、共同体を脅かす凶暴な怪物についての話が伝わっていたと言われている。

史学家のBrendan the Persistentは、「Tamrielの歴史において知られているあらゆる種族の中で、恐らくArgonianは最も誤解され、中傷されてきた種族であろう。しかし、Argonianの文化を時間をかけて経験した者は、この高貴で美しい人々を、大いに賞賛する。」と記述している。この史学家は、Black Marshの奥の沼地に向かう最後の探検中に、姿を消したことを述べておく。

Argoniaの地の最奥部に生えている巨木の種であるHistについてもまた、噂や憶測が飛び交っている。土着の民がこの木々を崇拝していると主張する者がいれば、この木々が、人間やエルフのあらゆる種族よりも古くから存在する種族であると考える者もいる。これらの主張を支持するような、Arogniaの地の奥部を探検した者による信頼できる説明などは全くない。また、現代のArgonianたちも、この神秘的な樹木については、あまり話したがらない。

First Eraの初期の頃には、Tamrielの他の場所でも見かけることができたが、Argonianという名称で呼ばれるようになると、彼らは滅多に故郷から離れる事がなくなった。Black Marshから移住して来た人々は、その部族の風習についての洞察を示すことはなく、より大きなTamrielの文化と同化することを望んだ。First Eraの中期までは、Black Marshの民の風習を経験した他所者は、少なくとも公的に認められる範囲では、ごく少数であった。

このTamriel南東に位置する沼地では、官憲の手が及ぶ前に逃走することができたので、山賊・盗賊の類が帝国の富を収奪するのに、実に都合のよい土地であった。1E1033年にはTopal湾(Topal Bay)の東部沿岸は、海賊活動が非常に活発になり、女皇Hestraは、最も悪名高い海賊の旅団長・「紅(Red)」のBrammanの首級を挙げることを望んだ。

Topal Bayでの戦いでの多くの失敗の後、帝国海軍(Imperial Navy)はついに、海賊王が捕縛から逃れるのに用いていた方法を発見した。すなわち、Topal Bayに注ぐ、Soulrest近郊を流れる細く蛇行した川の河口が、深いマングローブ林で覆い隠されていたのを発見したのである。帝国艦隊(Imperial Fleet)は、この道を伝い、それ以前にはArgonian以外の種族が入り込んだこともない、Black Marshの中心部の奥深くへと進軍した。海軍は、現在Blackroseと呼ばれる土地からそう遠くない所にあった盗賊王国において、ついにBrammanを捕縛し、女皇にその首級を献上した。ここでより重要なことは、帝国海軍によって、Black Marshの文化の真の姿に関する、最初の信頼できる説明がもたらされたことである。

Black Marsh奥地の沼地に暮らすArgonianは神経質であったのだが、彼らが接触した外界からやって来た人間は、Brammanや盗賊たちと、それ程変わりがなかったのであるから、それも当然であろう。帝国の文明は、Argonianを陵辱し、略奪し、隷属させた。Cyrodiilが海賊の航路に沿って定住を図ろうと、より内陸に侵攻すると、その度に頑強な抵抗に遭った。海賊の脅威を平定した後は、第一帝国(First Empire)は、Black Marshを概ねその住人の手に委ねておくことにした。

第二帝国(Second Empire)の時期になると、Black Marshは名目上ではあるが、初めて「征服」されることになった。1E2811年、Argoniaの戦い(Battle of Argonia)において、Black Marsh史上で最後のArognianの組織だった軍隊が敗北すると、彼らは人間やエルフが入り込めない、この地方の奥地にあるHelstormへと撤退した。翌年、Black Marshは公的にCyrodiil帝国に組み込まれることになった。

沿岸部および内陸部の幾つかの地域では、皇帝の名の下に帝国の指導者の支配を受けたことで、旅は安全になった。かつて、Tamrielの犯罪者の自由の天地だったこの地は、巨大な流刑地となった。他の地方の「文明的な」監獄に収容しておくには、あまりに危険な犯罪者は、Black Marshへと送られた。この中には、悪名高い斧使いの殺人犯・Naiや異端者・Devil-Mir,1E2899年に反乱の咎でGideonに流刑となったFirst Eraの最後の皇帝の妻・Taviaといった広く知られている服役囚も含まれている。Second Eraには、Potentateの1人Versidae-Shaeの手で、Lilmothiitの共同体の廃墟の上にBlackroseと呼ばれる最悪の監獄が建設された。

Second Eraの混乱の中で、Black Marshでは再び多くの盗賊が跋扈するようになった。Morrowindの奴隷商人は、より好き勝手にBlack Marshから搾取するようになり、Argonianの部族全体から鎖で拘束した奴隷をDunmerの地へ連行していった。かつてImperialの武官であった者が軍人王朝を樹立し、恐怖政治を敷いて、この暗黒時代においても悪名を馳せた。

恐ろしいKnahaten Fluが、自然に発生したものなのか、Argonianのシャーマンが圧政に対する報復として生み出したものなのかは、議論の的になっている。しかし、それがもたらしたものは明瞭であった。2E560年、Stormholdで発生したこの病禍は、急速にBlack Marsh全体に伝染し、非Argonianの者は悉く病に倒れた。病禍は40年以上に渡りこの地方に蔓延し続け、文化そのものを消滅させ(特にKothringiのそれを)、この地から余所者を駆逐したのである。

Black Marshが再び居住可能な地になっても、病への恐怖から、ほとんどの余所者はこの地へ近寄ろうとはしなかった。MorrowindのHouse Dresだけは、北方へと奴隷を連行し続けたが、その他にわざわざこの土地に関わろうとする者はほとんどいなかった。Tiber Septimでさえも、新たな帝国の建設のためにBlack Marshを征服しようとして、躊躇ったと言われている。この地方の国境は容易に陥れることができたが、Tiberは賢明にも、戦略的重要性を欠く内陸部の沼沢地を避けることを決断した。それ故に、ほとんど抵抗を受ける事はなかった。

Third EraにおけるBlack Marshの状況は、歴史上のこれまでのそれとほとんど変わっていない。帝国は、沿岸部の戦略的利点を見出してそれを保持し、危険な犯罪者をBlackroseやその他の内陸部に近い監獄へと送り続けている。Black Marshの中心部は、半人半爬虫類のArgonianだけが暮らす地域のままであり、帝国がこの地を併合することは、ありそうにない。

近年の出来事 Edit

Black Marshは、帝国の基準から言えば、経済的には「後進」地域である。生活の糧を得るための手段として農業が拡大し続けており、最近は輸出量も増加している。近年は盗賊の類は減少傾向にあるのだが、多くの犯罪が余所者ではなく、Argonianのごろつきの集団である「Naga」のような現地民によってなされるようになってきている。このような集団は、Black Marshの境界を越えて強力な麻薬を密輸していると噂されているが、今日までの所まだ、その証明はなされてはいない。また、帝国艦隊はTopal Bayを警戒し、決して絶滅することがない海賊から商人を護衛し続けている。

Imperialは、この地方の沿岸部の都市を、皇帝の名の下に支配し続けているのだが、その多くには、現地のArgonianの相談役がいる。彼らはArcheinと呼ばれており、いまだBlack Marshの大多数を占める地方の農村地域の行政官としての役割も果たしている。帝国の手を離れた内陸部の沼沢地には、監督の目は行き届いておらず、この地域がImperialの支配する地方として認識されているのかどうかもわからない。

奴隷制が廃止されたことによって、Black Marshと北方の近隣たるMorrowindとの関係は、改善されてきているが、ArgonianがArnesian戦争(Arnesian War)で占領された土地を奪還しようとし始めたため、国境を巡る争いは続いている。沿岸地方では、Imperialの部隊との間に小競り合いが発生していることが報告されているが、脅威になるほどのものではないだろう。

近年、悪名高いBlackrose監獄からの脱獄事件が発生した。事件以降、施設は閉鎖され、破壊された箇所は修復されたが、最悪の殺人者や盗賊、政治革命論者のうちの何人かは、既に沼地へと逃亡している。とは言え、彼らが過酷で危険なBlack Marshの内陸地帯で生き残ることができるとは、考えにくいのではあるが。

Orsinium Edit

Orcの故地であるOrsiniumの歴史は、波乱に富んでいる。実際の所、過去2000年間の大部分の時期においては、OrsiniumはOrcの民の夢想の中に存在したに過ぎないものであった。現在の領地は、Nova Orsiniumと呼ばれることもあり、High RockのWrothgarian山脈に位置している。Orcの故郷が復興されるのは、これが2度目であった。Orcの根拠地の最初の創造は、Second Eraに遡る。人間とエルフの帝国の拡大によって、High Rock, Cyrodiil, Skyrimから追い立てられたOrcの難民によるものであった。

敵から離れた山の高きにおいて、Orcの首長・Torug gro-Igronは、Orcの民を纏め上げた。散り散りになっていたOrcたちに、寄る辺ないOrcを受け入れる文明が興ったという話が伝わるにつれて、僅かの粗末な小屋から始まった村落に、強固な建物が建造されるようになっていった。Maulochの神話(Myth of Mauloch)が信用できるものであるならば、Orc(もしくはOrsimer)は、200年間Tamrielの地では艱難辛苦を味わい、もしそうでなければ、困窮はさらに続くとされていた。Orsiniumの夢は、あまりにも美し過ぎた。

最初のOrsiniumの実態について、客観的な見解を提示することはできない。年代記によると、要塞は厳格な掟の下に統括され、Bjoulsae川(Bjoulsae River)沿いの近隣の住人を襲撃していたという。しかし、Orcの史学家によると、最初のOrsiniumは農業と商業に基づいた平和な理想郷であったという。実態は恐らくその中間あたりにありそうではあるのだが、文書記録や考古学的資料は、全てOrsinium包囲戦(Siege of Orsinium)において破壊されてしまった。Daggerfall, Sentinel, Ansei Order of Diagnaの連合軍は、30年間にわたって、難攻不落と思われたTorug gro-Igronの要塞王国を陥落させようとした。1E980年、連合軍は勝利し、要塞内の生きとし生けるものを全て虐殺し、要塞そのものをも石塊へと変えてしまった。

Orsimerの流浪生活は長期間に及び、特に彼らの気質に悪影響を与えた。Tamrielの他の住人は、元来Orsimerのことをそれ程よくは思っていなかったが、最悪なことに、今や彼らは怪物に過ぎないものと見なされるようになってしまった。この後の3000年間、他の志あるOrcたちが、新たなOrcの根拠地を建設しようとしたが、いずれも根付く前に攻撃され、破壊されてしまった。

しかし、3E399年、Orcの新たな幻視者であるGortwog gro-NagormはかつてのOrsiniumの廃墟の近くに土地を得、そこにOrcのための新たな都市の建造を開始した。MaulochやTorugといったOrcの英雄たちの像で飾られ、鉄をもって建造されたNova Orsiniumは、かつてのOrsiniumと同様に、必然的に近隣の住人の反感を買うようになった。しかし、Gortwogは政治的才能のみならず外交的手腕をも発揮し、Nova Orsiniumは繁栄している。平和の奇跡(Miracle of Peace)の後、Nova Orsiniumは中央High Rockのかなりの領域を領有するようになり、Provinceへの昇格申請が、現在帝国のしかるべき機関において、審議中である。また、かつての敵であったWayrestの民と同盟を結び、安定した将来が約束されていることを示している。

Nova Orsiniumにおいて現在見られる唯一の揉め事の種は、ここ10年の間に引き起こされた宗教対立である。伝統的に、Orcは庇護神としてDaedra Lord Malacath(Mauloch)を信仰してきた。しかし、Gorttwogは、Daedra Lord Boethiaに喰われた後にMalacathになったという伝説を持つOrcの英雄・Trinimacを崇拝する新たな神官団を設立したのである。Gorttwogの信条によれば、Trinimacはまだ生きており、MalacathはTrinimacとは全く別の存在で、Orcに永久に艱難辛苦を与え続けることを目論む悪魔であるという。それがOrsiniumの神官団の公的な見解である。このことを異端と考えるOrcは、Orsinium内では少数派であるが、Tamrielの他の地域のOrcには多い。GortwogとOrsiniumを支持する者の間にさえも、血の誓約の公子(Daedric Prince of the Bloody Oath)に背をむけることは、非常に危険な方針だとの恐れが出ている。

Other Lands Edit

Tamrielは、Nirnという世界にある大陸の1つにしか過ぎない。Mundusの大海は、Oblivionへの道程を旅することと等しく危険であるため、他に幾つの大陸があるのかは、推測の域を出ない。以下に挙げるものは、Tamrielに影響を与えている大陸である。恐らく、その他の大陸については、将来出版されるであろう本書の新版におい記述することになるのであろう。

Thras Edit

この珊瑚でできた王国は、有史以前からSummerset Isleに対して敵対的な勢力であった。先に述べたように、SloadはかつてSummerset Isleを領有していた可能性もある。Sloadは、巨大な蛞蝓のような生物であり、屍霊術に習熟し、沿岸部においては海獣を召還して使役して、Altmerを恐れさせた。彼らは、Skywatchの包囲戦を行った。聞き分けのないHigh Elfの子供に対しては、母親が「Sloadがさらいに来る」と注意すれば、一日中気分が沈むほどである。ThrasがTamrielにもたらしているものは、全くの恐怖と破壊のみであるので、我々は彼らの大地そのものについては、ほとんど何もわかっていない。

Thrasに渡航して帰還した地図職人の手になる最初の地図によると、所々海に沈んだ半円形の珊瑚礁の中にある、16の島々があることがわかる。数世紀に渡り、密偵の手で作られた幾つかの地図では、島々の大きさや数が変わっており、両生類であるSloadの王国は、潮流などの自然現象によって絶えず変化するものであることが推測される。島々の中で最大のものは(最新の地図ではAgonioと呼ばれている)、初期の地図においてよりは後の地図において、より大きく描かれているのだが、もっとも安定している島であると考えられる。

しかし、Thrasの真の姿は、地図に描かれた表面的な大地を見ているだけではわからない。多くのAltmerがSloadの捕虜になり、戻って来た僅かな者たちによれば、諸島部の繋がりの中央には塩水の環礁湖があり、そこには機敏かつ優雅な生物が浮かび、また古代の沈没船などに、緻密な珊瑚礁の網が張り巡らされているという。

Thrasの脅威は、その地から遠く離れた所にももたらされている。1E2260年にTamrielの人民を死に追いやったThrassian Plagueは、本土に対する恐ろしい攻撃であった。一方、幾つかの小規模な侵略も記録されている。Tamrielの地にRedguardがやって来た1E808年、Redguardは、邪悪な精霊が生者を妨げないようにするという伝統に則り、離れ小島に犯罪者を埋葬しようとしていた。Sloadはこれらの離れ小島の墓地を利用して、屍霊術の研究所にしていたのである。Redguardは侵略者を排除したものの、報告ではThird Eraにおいても、Stros M’KaiからAbibon-Goraにかけての居住地に近い所で、Sloadが暮らしていたという。

ここ30年の間は、西方の海は押し並べて静穏である。Sloadの英雄、いわゆる「虫の王(King of Worms)」ことMannimarcoは、Tamrielを騒がせることをやめている。希望的観測ではあるが、Sloadは暗い海へと去っていったのかもしれない。

Pyandonea Edit

かつて、PyandoneaのMaormerは、元来Summerset Isleから追放された者たちであると考えられていた。しかし、Maormerも同じAldmerの後裔ではあるが、Summersetの出身ではないようである。Crystal Towerにあるタペストリーを翻訳した所、古代にある対立があったことがわかる。Maormerは、Summersetにおいてではなく、元々の故地であるAldmerisにおいて、Aldmerと袂を分かったようである。

伝説によると、Maormerの指導者にして、「王」を自称したOrgnumは、非常に裕福なAldmerの貴族であった。彼は、その財力を用いてAldmerisの地の権威に叛乱を起こした。このため、Orgnumと彼に従った者たちは、Aldmerisとは非常に濃い霧によって分かたれた地である、「霧の帳(The Veil of Mist)」と言われるPyandoneaへと追放された。この霧の障壁は、Orgnumたちが再びAldmerisに戻って来て騒乱を起こすのを防ぐのに足るものであった。しかし、Aldmerの新たな根拠地となったSummersetでは、そうはいかなかった。

Summersetの歴史の大部分において、MaormerはAldmerの後裔たるAltmerに攻撃を行っている。戦いは全てOrgnum自身によって指揮されているが、彼は不死であるというだけでなく、年月を経てより若々しくなっていると言われている。我々帝国地理学協会の資料の限りにおいては、MaormerがSummersetに対して行った戦争や戦略の数々は、どんな史学家でも数えきれない程である。しかし、個別の戦争や戦略の巧妙さを証明したところで、あまり意味はないのかも知れない。結局はどれも失敗に終わっているからである。

我々に、Pyandoneaの実際の地理に関する見通しを、僅かながら与えてくれた、特に言及するに値する攻撃がある。2E486年、小規模なMaormeriの艦隊が、Alinor沿岸で目撃された。Hidellith王は、海軍に追跡を命じた。海軍は、海図にない航路を通って艦隊を追跡し、Pyandoneaにおいて待ち伏せを受けた。Alinor海軍の大半は撃破されたが、ただ1隻Summersetに帰還した軍艦によると、Pyandoneaの地は、「海の密林」ということであった。渓谷をなす海の周りに生えた植物で形成した迷宮を持つ台地が散見された。Maormerの船以外は海草に覆われ、Orgnumの衛兵が時々騎乗する海蛇にとっては、よくカモフラージュされた棲家となっている。大地には霧の嵐が立ち込め、視界を迷わせる。1隻とは言え、Pyandoneaを訪れて帰還できたことは、Altmerの海洋における才能の証左であると言えるだろう。

Maormerが最後に文書記録に登場するのは、3E110年に勃発した島嶼戦争(War of the Isle)においてである。ArtaeumのPsijicsが発生させた嵐によって壊滅させられたOrgnumの艦隊は、次の戦争を仕掛けるに足るだけの人員を、再び動員することができなくなったと言われている。南方が霧に覆われている限りは、この考えを証明することも反証することもできないが、そうであって欲しいものである。

Akaviri Edit

ThrasおよびPyandoneaは、数千年の長きに渡ってSummersetと西部Tamrielにとって恐ろしい敵であり続けているのだが、AldmerとAtomoranがこの地にやって来て以来、最も恐ろしく、最も影響力がある外来の文化こそが、Akaviriである。Tamrielの東方に位置するこの神秘的な大地は、長期間に渡る敵ではあるのだが、我々は彼らについては、未だにほとんど何も知らない。

Akaviriが最初に歴史上に現れた時の姿は、海賊としてのものであった。現在では、この海賊活動は、将来の侵略のための偵察行動と考えることもできよう。船に乗った風変わりな獣人に、Tamrielの初期の住人は当惑し、恐怖した。当時の研究者によると、海賊は鼠のような姿をしていたとか、犬のような姿をしていたと述べ、Akaviriの文化は未発見のままであり、恐らく絶滅したのではないか、としている。言うまでもないが、Akaviriとは龍であり、Akaviriの地で最も恐ろしくも美しい、かつての現地民の後裔である。「Akaviri」という名は、まさしく「龍の地」を意味する言葉なのである。

1E2703年、Tamrielの民は初めて「Akaviriの蛇人(Akaviri Snakeman)」ことTsaeciの大艦隊と相対することになり、SkyrimのPale Passで会戦し、勝利を収めた。皇帝Reman1世は、Akaviriの風変わりな武器とその戦闘の才能に感嘆し、Reman1世とその後継者たちは、Akaviriの捕虜をTamriel帝国の次席相談役の地位につけるようになった。結局、これらの捕虜となったAkaviriは、1E2920年に皇帝Reman3世が没するに及んで、TamrielのPotentatesとなり、400年間に渡って君臨したのであった。

我々がAkaviriの地について知っていることの大半は、この時代にもたらされたものである。Akaviriには、Tsaeceの他にも風変わりな獣人が暮らしているという。猿のようなTang Mo,雪男のKamal,虎のような龍であるKa Po’Tunなどがそれである。これらの様々なAkaviriの種族は、近代の研究者に目撃されたことはないことを述べておこう。一方、Akaviri Potentate時代の伝承では、これらの種族について詳しく述べられているのだが、Tsaesci語は複雑であるため、誤訳の可能性があり、どこまで文面通りに解釈してよいかはわからない。

軍事の才に優れたUriel4世が、Second EraにおけるTsaesciの知識に基づいて、Akaviriを侵略する野望を抱いて以後は、Tamrielは長きに渡りAkaviriの脅威に曝されている。Uriel4世の遠征は失敗に終わり、3E290年のAkaviriでのIonithの戦い(Battle of Inoith)において、皇帝および全軍が敗死した。

我々とAkaviriとの間との戦いは、とても終結したとは言い難い。一方で、AkaviriがTamrielに与えている影響は、一律に否定的なものばかりというわけではない。First EraにもたらされたAkaviriの武器や防具は、Tamriel中の戦士によって用いられているし、龍はSeptim帝国の重要なシンボルの1つとして採用されているのであるから。

Yokuda Edit

Tamrielの住人の故地の中では、Yokudaの地については、AldmerisやAtmoraといった他の土地に比べると、よく知られている方である。年代記の記述が細密になり、かつ空想が排されるようになった、First Eraの頃、Volenfell(現在のHammerfell)の地に、Yokudaの民がやって来た。彼らは、叙事詩に誇らしげに語られるような、記念碑や豊富な伝承を携えていた。

Yokudaの地は、最早存在しない。だが、かつて存在したこの地では、岩だらけの荒れ果てた丘陵地帯で、適合した集約的多毛作農業と政治と戦争が行われていたという。Yokudaの地は過酷な環境で、Yokudaの民をTamrielで生きていくのに十分な程に鍛え上げた。4世紀および8世紀に勃発したYokudaの内戦と、果物と穀物しか生産できないVolenfellの砂漠は、Yokudaの民のより過酷な故郷での経験から見て、将来の摩擦の要因となった。

Yokudaを滅亡させた大災害の性質については、今日に至るまで議論されている。Yokudaの歴史上では地震は珍しいのだが、多くの人は、大地の基盤を破壊するような、一連の地震があったと、単純に考えている。また、その原因は人為的なものであると考える者もいる。最後の内紛の頃、Anseiの地のHiradirgeと呼ばれた叛逆者の一団が、岩石を操る魔術に習熟していたと言われていた。1E792年にHiradirgeが敗北すると、自らが支配する事ができなかった大地そのものを破壊することで、復讐したというのである。

Aldmeris Edit

エルフの故郷であるAldmerisの地については、その場所、環境、政治体制、宗教や今現在存在するのかについてさえも何も分かっておらず、全ては想像の産物である。SummersetにあるCrystal Towerの古代のタペストリーや文書記録の翻訳からは、美しいけれど奇妙な大地のごく簡単な姿が見えてくるだけである。Aldmerisには、Aldmerを除いては植物や他の生物が存在したことを示す表現はない。Aldmerisは、自然がなくなるまで、何度も建設を繰り返す、尽きる事のない都市として、常に描かれている。高い塔には死者が埋葬されていたようで、その伝統はCrystal Towerそれ自体にも受け継がれている。

エルフがTamrielに定住して以降、Aldmerisに何が起こったのかは、恐らくあらゆる謎の中でも最も古いものであろう。幾世紀にも渡り、多くの冒険家が「失われたAldmeris(Lost Aldmeris)」を探し求めたが、皆果たせず戻って来た(戻って来ることができたなら、の話だが)。Aldmerisは、Aldmerの神の逆鱗に触れて、海中へと沈められたとする者もいる。また、エルフの故郷はMundusを去り、エルフ種が再び統一されるまでは決して戻って来ることはないと言う者もいる。

Atmora Edit

Merethic Eraの数百年間の間、極寒のAtmoraの地から、幽霊海(Sea of Ghost)を渡って、Tamrielの地に襲撃部隊が侵入した。彼らは、数世代の後、我々の地に住む今日のNord, Cyrodiil, Bretonとなった。1E68年、僅か2隻の船が夥しい死体を積んで寄航を乞うたのを襲撃と呼ぶのなら、だが、最後の襲撃が行われた。これらの襲撃者の土地であったAtmoraについての記述は、年月を経て激しく変化しており、多くの人は、Atmoraは徐々に雪に覆われ、死に絶えると信じたままである。近年のAtmoraへの探検隊によると、この地は一年中雪に覆われ、生物はほとんどおらず、人間が生活している痕跡はないという。Tamrielに逃亡して来なかった人々は、悪化し続ける環境のために、恐らく何世紀も前に死滅してしまったのであろう。

Frost Fallを迎える前の時期でも、Atmoraはとても温暖な場所とは言えない。Atmoraからやって来た初期のNedicは、狩猟民であって農業を知らなかった。全ての民が捕食者であった土地では、恐らく残忍で野蛮な者しか生き残ることができなかったであろう。このAtmoraの民の特質が、TamrielのArenaとしての性質へと、受け継がれていったことがわかる。


トップ   編集 凍結 差分 バックアップ 添付 複製 名前変更 リロード   新規 一覧 検索 最終更新   ヘルプ   最終更新のRSS
Last-modified: 2008-10-23 (木) 14:27:46